日本大百科全書(ニッポニカ) 「ロシア共産党」の意味・わかりやすい解説
ロシア共産党
ろしあきょうさんとう
正式には「ロシア連邦共産党」(Коммунистическая Партия Российской Федерации/Kommunisticheskaya Partiya Rossiiskoi Federatsii)という。1992年に設立されたロシア連邦最大の全国政党。初代党首はソビエト共産党中央委員会扇動宣伝部の元幹部ゲンナジー・ジュガーノフ。92年からの経済改革に適応できない元ソビエト共産党の活動家が中心で高齢者が多い。党の基本政策は、国有企業の民営化の停止、一部企業の再国有化、計画経済の復活、外国資本による経済支配の排除と外国への譲歩の拒否による国益の保護などである。同党は、マルクス・レーニン主義の継承というよりもナショナリズムの傾向が強く、党内にはユダヤ人の追放を主張する者もいる。94年の国家会議(下院)議院選挙の全国区での得票率は22.3%、97年3月の議席総数439のうち、共産党は139議席の最大会派、協力関係のほかの会派をあわせると議席の半分近くを占めた。96年大統領選挙での決選投票におけるジュガーノフの得票率は40%であった。この投票でジュガーノフの支持率がエリツィンよりも高かったのは61歳以上の世代であり、年代が下がると支持率は急減した。農村部での支持率は過半数を超え、都市の年金生活者は44%とエリツィンに迫ったが、労働者33%、技術者29%であり、企業家、知識人、学生、公務員などの支持率が非常に低かった。99年12月に行われた国家会議選挙では、同党の全国区での得票率は24.3%、議席総数449のうち獲得議席は113であり、同党が得票第1位の選挙区はモスクワ東南の農村地帯(いわゆる赤いベルト)に限られていた。この選挙で与党の議席が大幅にふえ、同党に近いほかの会派の議席数の大幅減も加わり、共産党の政治への影響力は弱まった。99年12月31日にエリツィンが大統領を辞任。後継者としてプーチンを大統領代行に任命した。そして、翌2000年3月に大統領選挙が実施され、共産党はジュガーノフを候補にたてて臨んだが、エリツィン後継のプーチンの勝利に終わった。同選挙ではプーチンの得票率52.94%に対し、ジュガーノフの得票率は29.21%であり、96年選挙より10%以上少なかった。選挙後にジュガーノフは、共産党の社会民主主義への路線転換を語ったが、これは同党指導部の一致した意見ではない。
[稲子恒夫]