プラウダ(その他表記)Pravda

翻訳|Pravda

デジタル大辞泉 「プラウダ」の意味・読み・例文・類語

プラウダ(〈ロシア〉Pravda)

真理の意》ロシア連邦日刊新聞。1912年創刊ソ連共産党中央委員会の機関紙で、党の政策方針の発表機関であったが、1991年の発行禁止後は党から独立して再刊され、ソ連解体後もロシア発行

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精選版 日本国語大辞典 「プラウダ」の意味・読み・例文・類語

プラウダ

  1. ( [ロシア語] Pravda 「真理」の意 ) 旧ソ連共産党中央委員会機関紙。日刊。一九一二年ペテルブルクで創刊。一八年モスクワに本拠を移す。九一年のソ連崩壊後、ギリシア人実業家への経営権譲渡、中道的タブロイド判週刊紙「プラウダ5」となったが、九八年廃刊。一方、九六年経営者との対立で解任された編集長が新たにロシア共産党機関誌「プラウダ」を創刊、さらに九七年にプラウダジャーナリスト集団と名のるグループが別の「プラウダ」を創刊している。

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改訂新版 世界大百科事典 「プラウダ」の意味・わかりやすい解説

プラウダ
Pravda

旧ソ連邦共産党中央委員会機関紙。紙名は〈真理〉の意。1912年5月5日(旧暦4月22日)にペテルブルグで創刊。ロシア革命後の22年にこの5月5日が〈新聞の日〉に制定された。レーニンを指導者とし,スターリン,モロトフらが創刊,編集に参加した。重なる弾圧に紙名を何度も変えて発行をつづけたが,1914年,第1次世界大戦勃発とともに停刊させられた。17年の二月革命による帝政崩壊後に復刊したのちも弾圧により紙名変更を繰り返したが,十月革命後の18年に政府,党とともにモスクワに移ってから,急速に成長した。記事や論説の多くは,モスクワ放送やタス通信によりソ連内外に広く伝達された。年中無休でモスクワなど44都市で発行され,発行部数は約1020万部(1983)と,世界最大の新聞の一つとなり,政府機関紙の《イズベスチヤ》と並んで最重要な新聞とされた。発行所の〈プラウダ出版所〉は,ソ連共産党に属する最も古い出版所であり,《プラウダ》のほか,《コムソモールスカヤ・プラウダ》《農村生活》などの新聞,《哲学の諸問題》《歴史学の諸問題》などの理論雑誌,一般誌の《クロコディル》《アガニョクOgonyok》などを刊行し,ソ連の出版所のなかでも有力な存在となっていた。

 しかし,91年8月の保守派クーデタ失敗後に発行停止処分を受け,同月末に共産党と訣別して中道新聞として再刊。のちのギリシア人実業家の出資を得て,95年創刊の週末刊行紙《プラウダ5》を日刊化して,部数27万部と公称する(1996)。保守派の新聞である。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「プラウダ」の意味・わかりやすい解説

プラウダ
ぷらうだ
Правда/Pravda

モスクワで発刊され、ロシア全土に配布される日刊紙で、1918年から91年まで、ソビエト共産党中央委員会の公式機関紙であった。プラウダはロシア語で「真理」を意味する。1912年5月5日にサンクト・ペテルブルグでボリシェビキの機関紙としてアンダーグランドで創刊された。発起人の一人はレーニンで、亡命先から同紙の編集を指導し、多数の論文記事を掲載、革命勢力の育成に力を入れた。しかし、ツァーリ政府の弾圧も激しく、たびたび発行禁止となり、何度も名称を変えて発行し続けた。14年7月、第一次世界大戦勃発(ぼっぱつ)と同時に編集部員が逮捕され停刊に追い込まれたが、17年の二月革命後に復刊。18年に本拠をモスクワに移し、以後、共産党の路線を擁護するきわめて重要な新聞としての役割を果たしてきた。ソ連時代の発行部数は1300万部に及んだといわれる。91年にソ連が崩壊すると、読者は激減、92年3月には一時発行が停止、経営権をギリシア人実業家・ヤンニコス兄弟に譲渡し、その後も親共路線で発行を続けていた。路線変更で利益確保をねらうヤンニコス兄弟側スタッフは95年に新たに中道的なタブロイド判週刊紙『プラウダ5』を創刊したが、不安定な経営が続き、98年7月に廃刊となった。一方、1996年7月の大統領選で共産党が敗退した後、オーナーとの対立で解任された編集長は、新たにロシア共産党の機関誌『プラウダ』(週3回発行、99年現在約5万2100部)を創刊、さらに97年にはプラウダジャーナリスト集団と名のるグループが別の『プラウダ』(週5回発行)を創刊したので、ロシアには二つのプラウダが存在している。

[伊藤高史]

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百科事典マイペディア 「プラウダ」の意味・わかりやすい解説

プラウダ

もとソビエト連邦共産党中央委員会の機関紙。1912年刊。プラウダは《真理》の意。当初はレーニンが指導。1914年第1次大戦勃発とともに停刊するが,1917年二月革命後復刊。この間弾圧のため数回名称変更。十月革命以後党・政府の重要決定や指令の報道などにより指導的役割を果たした。1991年のクーデタに際しクーデタ側を支持,8月23日ロシア共和国大統領令で発行禁止になったが,31日党から独立した新聞として再刊,紙面を一新した。1996年発行部数約21万部。その後,社主側と解雇された編集長側の2紙になるなど曲折をへて,1999年現在,《プラウダ》の題号でロシア共産党機関紙と銘打つ週3回刊の新聞になっている(約6.3万部)。
→関連項目イズベスチヤククルイニクスイショスタコービチスースロフタス(TASS)ブハーリン

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「プラウダ」の意味・わかりやすい解説

プラウダ
Pravda

ロシア語で「真理」の意。旧ソ連共産党中央委員会の機関紙。記事や論説の多くはモスクワ放送によってソ連全土に放送され,またタス通信によって各地域や外国に送信されていた。 1912年4月 22日 (新暦5月5日) レーニンによってサンクトペテルブルグで創刊,十月革命の成功までは発行禁止や題号変更など,たびたびの弾圧を受けたが,18年モスクワに発行所を移してからは,党機関紙として着実かつ急速に成長した。 91年のソ連崩壊後,経営難から休刊に追込まれたが,保守的立場を明らかにして 92年復刊した。発行部数 13万 7000 (1997) 。

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「プラウダ」の解説

『プラウダ』
Pravda

ロシア語で「真実」「正義」,あるいはそれらが実現された状態をさす。1912年5月5日(ロシア暦4月22日)に創刊されたボリシェヴィキ党機関紙がこの名称を採用した。この新聞は第一次世界大戦開始の直前に停刊されたが,二月革命後復刊し,ソ連では共産党中央委員会機関紙として最重要の新聞となった(約966万部,1989年)。ソ連解体後は部数が激減した。

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旺文社世界史事典 三訂版 「プラウダ」の解説

プラウダ
Pravda

旧ソ連共産党中央委員会の機関紙
1912年5月,ボリシェヴィキの機関紙としてスターリンらの指導下にペテルブルクで創刊。1914〜17年は停刊されたが,三月革命後復刊し,十一月革命後は党の宣伝,政府の政策普及の重要なかなめとなった。プラウダとは「真理」の意味。広告・娯楽記事は掲載しない。1991年に停刊となったが,その後民間新聞として復刊された。

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世界大百科事典(旧版)内のプラウダの言及

【新聞】より

…これらの新聞は〈イェロー・ジャーナリズムyellow journalism〉と呼ばれた。
[社会主義国の新聞]
 ロシアでは多くの合法・非合法の社会主義新聞が発行され,1912年には日刊の《プラウダPravda》が,17年にはペトログラードの労働者・兵士代表ソビエトの機関紙《イズベスチヤIzvestiya》が創刊された。革命成功後,前者はソ連共産党中央委員会機関紙,後者はソ連最高会議幹部会機関紙に発展したが,ソ連崩壊後,両紙とも民間の新聞社で発行されるようになった。…

【機関紙】より

…ことに配布網を重視するという思想は,組織がまだ若く,旧体制の抑圧機構が強力であったという事情に加えて,媒体の組織化の機能にレーニンが早くから気づいていたことを示している。ロシア社会民主労働党が多数派と少数派に分裂して以降は,多数派(ボリシェビキ)は《フペリョード》を発行し,1912年には《プラウダ》が創刊される。フランスでは,1904年社会主義運動は二つに分裂していたが,ジャン・ジョレスの社会党が,当時の金額で88万フランを集めて《ユマニテ》を創刊した。…

【新聞】より

…これらの新聞は〈イェロー・ジャーナリズムyellow journalism〉と呼ばれた。
[社会主義国の新聞]
 ロシアでは多くの合法・非合法の社会主義新聞が発行され,1912年には日刊の《プラウダPravda》が,17年にはペトログラードの労働者・兵士代表ソビエトの機関紙《イズベスチヤIzvestiya》が創刊された。革命成功後,前者はソ連共産党中央委員会機関紙,後者はソ連最高会議幹部会機関紙に発展したが,ソ連崩壊後,両紙とも民間の新聞社で発行されるようになった。…

※「プラウダ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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