プラン問題(読み)ぷらんもんだい

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

プラン問題
ぷらんもんだい

K・マルクスは自己の経済学の全体系――資本主義生産様式の解剖としての経済学批判の体系――のプランを書き残した。プラン問題とは、刊行された『資本論』がこのプランのどの部分にあたるか、あるいはこのプランに照らしてその構成に変更があったか否か、という問題である。
 マルクスは1857~63年の間にいくつかのプランを立案しているが、基本的には、資本、土地所有、賃労働、国家、外国貿易、世界市場、の6部からなる経済学批判の予定であった。分析の力点は前半3部のブルジョア社会の内部編成と三大階級の基礎の解明に置かれた。とくにマルクスは、資本に分析を集中した。資本は、〔1〕資本一般、〔2〕競争または多くの資本の相互活動、〔3〕信用、〔4〕株式資本の4編に分かれ、このうち〔1〕資本一般は、(1)商品、(2)貨幣または単純な流通、(3)資本、の3章からなっていた。この(3)資本は、さらに(a)資本の生産過程、(b)資本の流通過程、(c)両者の統一または資本と利潤、の3部分に区分されていた。
 マルクスは、経済学批判体系の草稿を7冊のノート(1857~58年執筆、「経済学批判要綱」とよばれる)と23冊のノート(1861~63年執筆)に残しているが、1859年刊の『経済学批判』はこのプランの第1分冊であった。その内容は、先の(1)商品、(2)貨幣または単純な流通、の2章だけであり、(3)資本以下は続冊に予定された。しかし、1862年末にこの予定を変更して、『資本(論)』と題し、「経済学批判」を副題とする独立の著作とすることに決めた。内容は、資本の生産過程、資本の流通過程、総過程の諸姿容、理論の歴史のために、の4部作の予定(1866年10月13日付けL・クーゲルマンあてのマルクスの手紙)であった。
 1863年から1865年にかけて『資本論』全4部の草稿はほぼ完成し、第部が1867年に出版された。1883年にマルクスが死亡すると、F・エンゲルスが残された草稿をもとに編集し、第部が1885年に、第部が1894年に出版された。なお、第部に予定されていた学説史部分は、エンゲルスの死後、K・カウツキーによって『剰余価値学説史』全3巻として1905~10年に出版されたが、1956~62年旧ソ連および旧東ドイツのマルクス‐レーニン主義(ML)研究所が第部として新版を刊行した。
 プラン問題については、変更説――H・グロースマン、F・ベーレンス、W・レオンチェフ、ソ連および東ドイツの両マルクス‐レーニン主義(ML)研究所の見解などいくつかの異見がある――と、不変説――久留間鮫造(くるまさめぞう)、宮本義男、佐藤金三郎など日本で多く、『資本論』=資本一般説をとる――とが対立するが、最近は実質的相違を失いつつある。それは、近年の研究成果では、『資本論』の構成が当初の資本一般より拡大されて、競争、信用、株式資本、土地所有、賃労働の基本規定を含む内容の拡大、深化となり、その点でプランの形式的変更になるが、とはいえ実質的には資本一般の範囲にとどまる基本規定であって、未完成部分の競争、信用以下は特殊研究として展開されるとされているからである。[海道勝稔]
『佐藤金三郎「《経済学批判》体系と《資本論》」(『経済学雑誌』第31巻第5、6号所収・1954・大阪市立大学経済研究会) ▽経済学史学会編『「資本論」の成立』(1967・岩波書店) ▽久留間鮫造著『恐慌論研究』(1975・大月書店)』

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