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プリュードン Prud'hon, Pierre-Paul

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

プリュードン
Prud'hon, Pierre-Paul

[生]1758.4.4. クリュニー
[没]1823.2.16. パリ
フランスの画家。ディジョンの美術学校を出,パリで数年過したのち,1785年ローマに留学。 A.カノーバと親交を結び,古代彫刻やコレッジオラファエロミケランジェロを研究し,89年パリに帰還。ナポレオンの保護を受け,宮廷の肖像画家,装飾画家となった。古典主義を基調としながら柔軟な筆致と甘美な表現でロマン主義を予告する作風を確立。代表作『皇妃ジョゼフィーヌの肖像』 (1805,ルーブル美術館) ,『プシュケーの誘拐』 (08,同) 。

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百科事典マイペディアの解説

プリュードン

フランスの画家。クリュニー生れ。ローマ賞を受けて1782年―1788年イタリアに留学し,コレッジョレオナルド・ダ・ビンチを研究。暖かい色彩や両者の影響による柔らかい明暗法と肉付けにより,ダビッド以後の新古典主義の展開の一翼を担った。
→関連項目ジェリコー

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世界大百科事典 第2版の解説

プリュードン【Pierre‐Paul Prud’hon】

1758‐1823
フランスの画家。クリュニーに生まれる。パリで学び,次いでローマに留学し,レオナルド・ダ・ビンチとコレッジョのスフマート(ぼかし)を研究しパリに戻る。時はまさに大革命の時代で,彼は熱狂的共和派であったため同志の肖像画などを描いた。ナポレオンの時代も引き続き皇室の注文などを得て,肖像画家として活躍。またこのころから寓意的な装飾画や物語画なども描くが,古代神話の主題を扱うときでも彼の筆は甘美でメランコリックであり,ビチューム(茶褐色の透明絵具)で透明感を出しながらスフマートを駆使して夢幻的世界を作り上げた。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

プリュードン
ぷりゅーどん
Pierre Paul Prud'hon
(1758―1823)

フランスの画家。石工の大家族の息子の1人としてクリュニーに生まれる。奨学金を得て1774年ディジョンの美術アカデミーに学ぶ。80年パリに出て彫版師となるが、ブルゴーニュ地方からローマ賞を与えられて84年イタリアに赴き、カノーバと親交を結び、ラファエッロ、コレッジョらの影響を受けた。89年パリに戻り、ジャコバン党員として精力的に活動しながら、版画の下絵や肖像画を描いた。彼は当時隆盛を誇った新古典主義にはくみせず、とくに夢みるような神秘的な雰囲気を漂わせる女性像を特徴とする絵画を制作、ダビッドは彼を「今日のブーシェ」とよんだ。ナポレオンの2人の皇后に重用され、また宮廷画家も務める。代表作は『ジョゼフィーヌの肖像』(1805)、『プシュケーの誘拐』(1808)をはじめ、1808年のサロンに出品されレジオン・ドヌール勲章を受けた『罪悪を追う正義と聖なる復讐(ふくしゅう)の神』、『ビーナスとアドニス』など。また彼は天然アスファルトからつくられた溶き油を必要とする濃褐色の絵の具ビチュームを初めて使用した画家の1人だが、そのため彼の作品の多くは画面に亀裂(きれつ)を生じ、変色をきたしている。[上村清雄]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

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