ナポレオン1世の最初の妻。本名Marie-Josèphe Rose Tascher de La Pagerie。フランス領西インド諸島のマルティニク島に生まれ,パリに出て16歳でボーアルネ子爵と結婚し2子をあげたが,革命中に夫は処刑され,みずからもしばらく投獄された。〈テルミドール9日〉の後に出獄して社交界に入り,1796年,6歳年下のナポレオン・ボナパルトと再婚し,1804年彼が帝位に就くとともに皇后になった。ナポレオンはもともと深く彼女を愛していたが,はじめは彼女の,のちには彼の浮気のために,2人の仲はとかく円満を欠き,後継者を生むことができなかったため,09年に離婚された。ナポレオンは再婚後も彼女と文通を続け,14年,帝位を辞してエルバ島に下る直前に,〈これが最後のお別れです,私はあなたを決して忘れはしないでしょう〉と書き送った。事実,彼女は,ナポレオンがエルバ島を脱して帰国するまえに,パリ郊外のマルメゾンの館で死去した。
執筆者:遅塚 忠躬
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ナポレオン1世の最初の皇后。西インド諸島マルティニーク島に生まれる。16歳のときフランスにきてボーアルネ子爵と結婚、2児をもったが、1794年夫が処刑され、彼女も投獄された。同年のいわゆる「テルミドールの反動」で釈放。総裁政府期には美貌(びぼう)と魅力で社交界の花形となり、96年ナポレオンと再婚。熱愛されながらも夫のエジプト遠征中に不貞のため一時危機にたったこともあるが、1804年ナポレオンの皇帝即位とともに皇后となる。しかし帝位の後継者を産めなかったため、09年には離婚されてマルメゾン館で余生を送り、ナポレオンのエルバ島からの帰還を待たずに死亡。
[樋口謹一]
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1763~1814
ナポレオン1世の最初の妻。フランス領西インドに生まれてパリに出,初婚の夫が革命中に処刑されたのち,1796年ナポレオンと再婚し,皇后となったが,1809年に離婚された。
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…フォール・ロアイヤルと呼ばれていたが,フランス革命後に現在名となった。1638年にフランス人総督が建設したサン・ルイ城塞を中心に,屋根の低い木造の家屋が建ち並んで,港を半円状にとり囲んでおり,サバーヌ公園にはナポレオンの皇后ジョゼフィーヌ(当地の出身)を記念する大理石像がある。フォール・ド・フランス港は国際定期船が寄港する良港。…
※「ジョゼフィーヌ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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