日本大百科全書(ニッポニカ) 「プリュードン」の意味・わかりやすい解説
プリュードン
ぷりゅーどん
Pierre Paul Prud'hon
(1758―1823)
フランスの画家。石工の大家族の息子としてクリュニーに生まれる。奨学金を得て1774年ディジョンの美術アカデミーに学ぶ。1780年パリに出て彫版師となるが、ブルゴーニュ地方からローマ賞を与えられて1784年イタリアに赴き、カノーバと親交を結び、ラファエッロ、コレッジョらの影響を受けた。1789年パリに戻り、ジャコバン党員として精力的に活動しながら、版画の下絵や肖像画を描いた。彼は当時隆盛を誇った新古典主義にはくみせず、とくに夢みるような神秘的な雰囲気を漂わせる女性像を特徴とする絵画を制作、ダビッドは彼を「今日のブーシェ」とよんだ。ナポレオンの2人の皇后に重用され、また宮廷画家も務める。代表作は『ジョゼフィーヌの肖像』(1805)、『プシュケーの誘拐』(1808)をはじめ、1808年のサロンに出品されレジオン・ドヌール勲章を受けた『罪悪を追う正義と聖なる復讐(ふくしゅう)の神』、『ビーナスとアドニス』など。また彼は天然アスファルトからつくられた溶き油を必要とする濃褐色の絵の具ビチュームを初めて使用した画家の1人だが、そのため彼の作品の多くは画面に亀裂(きれつ)を生じ、変色をきたしている。
[上村清雄]