プルジェワリスキー(英語表記)Nikolai Mikhailovich Przheval'skii

改訂新版 世界大百科事典 「プルジェワリスキー」の意味・わかりやすい解説

プルジェワリスキー
Nikolai Mikhailovich Przheval'skii
生没年:1839-88

ロシア中央アジア探検家。陸軍大学出身の軍人で,最初の任地ワルシャワから志願してシベリア軍管区に転勤し,1867-69年に沿海州ウスリー地方の調査を行った。70-73年にはモンゴルと中国を探検して名著《モンゴルとタングート人の国》(1875-76)を発表して注目された。ひきつづき76-77年にはジュンガリアを踏査してロブ・ノールの位置を確定し,79年以降2度にわたってチベットへおもむいた。5度目の中央アジア探検に出発した直後イシク・クル湖近くで死亡した。数々の地理上の発見を行い,多く動植物標本を採集したほか,貴重な探検記録を残した。
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「プルジェワリスキー」の意味・わかりやすい解説

プルジェワリスキー
Przheval'skii, Nikolai Mikhailovich

[生]1839.4.12. スモレンスク
[没]1888.11.1. カラコル
ロシアの探検家,帝政ロシア将校。 1867~69年のウスリー地方探検のあと,陸軍とロシアの地理学協会との援助で 1870~73,1876~77,1879~80,1883~85年の4回に及ぶ内陸アジア探検を敢行野生ラクダウマ (プルジェワリスキーウマ ) は彼の発見したもの。 1888年第5次探検準備中カラコルで病死。著書は『ウスリー紀行』 Puteshestvie v Ussuriiskom krae (1870) ,『蒙古とタングート人の国』 Mongoliya i strana tangutov (2巻,1875,1876) ,『ロプノール紀行』 Ot Kul'dzhi za Tyan'-Shyan' i na Lob-nor (1879) ,『キャフタから黄河源流へ』 Ot Kyakhty na istoki Zhëltoi reki (1888) 。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

百科事典マイペディア 「プルジェワリスキー」の意味・わかりやすい解説

プルジェワリスキー

ロシアの地理学者。中央アジア探検家。1867年―1888年,アジア奥地を5度にわたり探検旅行,多くの山脈湖沼,動植物を初めて記述した。なかでも彼の名を冠する野生のウマは有名。6度目の探検途上,イシク・クル湖岸で死んだ。5冊の探検記がある。
→関連項目イシク・クル[湖]コズロフヘディン

出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報

今日のキーワード

焦土作戦

敵対的買収に対する防衛策のひとつ。買収対象となった企業が、重要な資産や事業部門を手放し、買収者にとっての成果を事前に減じ、魅力を失わせる方法である。侵入してきた外敵に武器や食料を与えないように、事前に...

焦土作戦の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android