プレショフ(英語表記)Prešov

デジタル大辞泉 「プレショフ」の意味・読み・例文・類語

プレショフ(Prešov)

スロバキア東部の都市同国第3の規模をもつ。コシツェ盆地北部に位置する。機械工業繊維業のほか製塩業が盛ん。11世紀よりハンガリー王国の領地となり、17世紀に新教徒のための神学校が開設された。旧市街には聖ミクラーシュ教会、旧市庁舎(現在はワイン博物館)などの歴史的建造物が残っている。

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改訂新版 世界大百科事典 「プレショフ」の意味・わかりやすい解説

プレショフ
Prešov

スロバキア東部の中心都市で,スロバキア居住のウクライナ人文化の重要な拠点ドナウ川の支流トリサTorysa川に臨む。人口9万2486(2002)。コシツェKošiceとともに東スロバキア工業地区の中心を形成し,機械・セメント・食品・木材・衣料工業が盛ん。コシツェにあるシャファーリク大学の教育・哲学部の所在地。合同教会司教座がある。1200年ころハンガリーからポーランドへ抜ける通商路の要地として興り,1299年に都市の特権を得た。多くの後期ゴシック,ルネサンス式の建造物がある。1919年スロバキア共和国評議会(ラーダ)が宣言された町としても知られる。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「プレショフ」の意味・わかりやすい解説

プレショフ
ぷれしょふ
Prešov

スロバキア東部、プレショフ県の県庁所在地。人口9万2786(2001)。コシツェ盆地北端、トリサ川とセクチョウ川の交点に位置する。鉄道分岐点。市についてのもっとも古い言及は13世紀の文書にみられ、1374年に自由王立都市に認定された。16世紀にはハンガリー王国新教徒の文化的中心地となり、1667年に新教徒の高等教育機関が開設された。繊維、機械、印刷などが主要な工業で、塩の生産地としても知られる。P・J・シャファーリク大学の3学部(コシツェに3学部)とコシツェの技術大学の1学部がある。

[木村英明]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「プレショフ」の意味・わかりやすい解説

プレショフ
Prešov

ハンガリー語ではエペリェシュ Eperjes。スロバキア東部の都市。コシツェの北約 35kmのトルサ川沿いに位置する。 13世紀中頃からの町で,1374年には自由都市となり,バルト海バルカン半島とを結ぶ商業交通の要地として栄えた。中世の市場が残るほか,ゴシック,バロック,ロココの各様式の聖堂群,ルネサンス様式の市民の家など,歴史的建築物が多い。鉄道および道路の結節点をなし,第2次世界大戦後のスロバキア工業の開発により急速な発展をとげた。電機,繊維,食品などの工業が盛ん。人口8万 7788 (1991推計) 。

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