スロバキア東部、コシツェ県の県庁所在地でスロバキア第二の都市。人口23万6093(2001)。コシツェ盆地に位置し、ホルナート川が市内を流れる。市最大の産業は、1960年代に建設された「東スロバキア製鉄所」による鉄鋼生産で、ほかに機械、食品工業が盛んである。近郊に自然保護区のスラーンスケ丘陵をひかえ、観光開発にも力が入れられている。市の中心部にはスロバキア最大のゴシック建築、聖アルジュベタ大聖堂があり、国立劇場、旧市庁舎、司教邸などの歴史的建造物がそれを取り囲んでいる。高等教育機関として、P・J・シャファーリク大学の3学部(プレショフに3学部)、技術大学、M・R・シチェファーニク空軍大学があるほか、ブラチスラバの経済大学とニトラの農業大学がそれぞれ1学部を設置している。コシツェ・マラソンの開催地。
[木村英明]
1230年の古文書に市への定住に関する最初の記述があるが、市の権利を付与されたのは90年。1324年に王立自由都市となり、14~15世紀には金細工や織物を中心に産業が栄え、交易都市としても発展した。16~17世紀にかけ、ハンガリー王国の対トルコ戦重要拠点。トリアノン条約(1920)でチェコスロバキアに帰属したが、ウィーン裁定(1938)でハンガリーに割譲、第二次世界大戦後、ふたたびチェコスロバキア領になる。1945年、ベネシュ大統領率いるチェコスロバキア臨時政府が置かれ、同年5月に国家再建の指針となった「コシツェ綱領」が発表された。1993年、チェコスロバキアはチェコとスロバキアに分離、独立した。
[木村英明]
スロバキア東部,ドナウ川の支流ホルナートHornád川に臨む工業都市。人口23万4937(2005)。機械,セメント,繊維,印刷,食品工業などが盛んで,ハンガリー,ウクライナ国境に近いことから,通商上重要な位置を占める。1290年にハンガリー王国都市に昇格し,数百年間,北部ハンガリーの最も重要な文化・商工業都市で,古くからポーランドと結ぶ交易路として大きな役割を果たしてきた。市には1657年設立のシャファーリク大学,工業大学などの教育機関があり,旧市街にある14世紀末に完成したゴシック式の大聖堂は周辺の近代的工場群とみごとな対照をなしている。1921年この市はチェコスロバキア領となるが,38年ハンガリーに編入,45年ソ連軍による解放で再びチェコスロバキア領となった。同年4月臨時政府がここに設置され,4月5日に新政権が出した〈コシツェ綱領〉は,社会主義新国家の憲法の基礎となったものである。コシツェ・マラソン(1930創設)の開催地としても知られている。
執筆者:稲野 強
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…人口9万3000(1996)。コシツェKošiceとともに東スロバキア工業地区の中心を形成し,機械・セメント・食品・木材・衣料工業が盛ん。コシツェにあるシャファーリク大学の教育・哲学部の所在地。…
※「コシツェ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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