内科学 第10版 の解説
ヘリコバクター・ピロリ感染症(Gram 陰性悍菌感染症)
定義・概念
1983年のWarrenとMarshallによるHelicobacter pylori(H. pylori)の発見が,胃・十二指腸疾患の概念に大きな変革をもたらした(Warrenら,1983).H. pylori感染症は胃炎,消化性潰瘍,胃癌,胃MALTリンパ腫との強い関連が指摘されているが,本菌感染による最も基本的な胃粘膜変化は多核白血球,リンパ球および形質細胞などの炎症細胞浸潤を主体とする組織学的慢性胃炎である.胃粘膜への持続感染が上部消化管疾患の臨床経過に大きく関与し,また除菌治療は消化性潰瘍再発を抑制することが判明している(NIH Consensus Development Panel,1994).
一方,H. pylori感染と胃癌の強い関連性が注目されWHO/IARCは1994年にH. pyloriを確実な発癌因子(group I)と認定したが,その後,わが国での大規模前向き試験においてH. pylori感染と胃癌の関連が明らかにされた.またH. pylori除菌による胃発癌予防効果に関しては,現在も研究が進行中であるが,内視鏡的治療後胃における二次胃癌発症は除菌により有意な抑制が確認されている.
細菌学的特徴・病原因子
H. pyloriは極多毛性の鞭毛(4〜6本 )を有する微好気性Gram陰性桿菌で,大きさは3 × 0.5 μmであり,通常はらせん状の形態を呈している.本菌は胃粘液層および胃粘膜上皮細胞の表層に密着して強力なウレアーゼ活性を有することによりNH3を産生し,胃酸を中和することにより生息している(図4-5-13A-C). H. pyloriの病原因子は多数あるが,おもに細菌側と宿主側の病原因子に大別される(表4-5-3).細菌側因子として,VacA,CagAなどがおもに研究されており,特にCagAの機序解明が進んでいる.菌体が胃粘膜上皮細胞に接着すると,菌のもつⅣ型分泌機構によりCagA蛋白が細菌から胃粘膜上皮細胞へ注入され,増殖分化に関与するSrc homology 2 domain(SH2 domain)を有するSHP-2と特異的に結合,シグナル伝達系を傷害し,細胞分化や増殖刺激,細胞極性傷害を引き起こす.これが発癌メカニズムに関与すると考えられている.CagAを全身発現するトランスジェニックマウス(transgenic mouse)において胃癌,造血系腫瘍などの発生が認められ,CagAは細菌由来発癌蛋白であることが示されている.またCagAはその遺伝子配列差異にて東アジア型と西欧型に大別され,わが国で大多数を占める東アジア型は,より細胞傷害が強く胃発癌との深い関連が指摘されている.
空胞化毒素(Vacuolating cytotoxin gene:VacA)においてもs領域とm領域の変異によってs1,2,m1,2に分けられ,s1/m1株が最も高いサイトトキシン活性を有するとされる. その他の細菌因子や,宿主,環境因子,感染持続期間などが複合して胃粘膜傷害に関与しているものと考えられている.
疫学・統計的事項
H. pylori感染は最も頻度の高い慢性の細菌感染症の1つであり,その分布は全世界に及び,すべての年齢層の胃・十二指腸疾患と関連があると考えられている.一般に,発展途上国で感染率が高く,先進国では減少傾向にあり,これには衛生環境の関与が考慮される. 本菌の感染は水系感染を主体とした経口感染で,上下水道の普及と密接な関係がある.伝播経路は,発展途上国では糞-口感染が,先進国では口-口感染がその主体であり,不十分な消毒による内視鏡を介した感染の可能性も指摘されている.さらに保菌者から環境へ放出された本菌が未調理の野菜や河川水,井戸水あるいは湧水などを介して再びヒトへ感染する経路,またヒツジやネコなどの動物を介した感染経路も推定されている.
臨床症状
多くが小児期に感染し,その後慢性持続感染となるが,症状として自覚することは少ない.しかし,胃粘膜上皮は慢性活動性胃炎が持続し(図4-5-14A,B),萎縮性胃炎,腸上皮化生の発生,胃・十二指腸潰瘍の発生を惹起する.悪性疾患として胃MALTリンパ腫,胃癌との関連も明らかとなっている.成人になり経口的に感染すると急性胃粘膜病変(acute gastric mucosal lesion:AGML)を引き起こすが,短期間で菌は排除されることが多い.また,鉄欠乏性貧血,特発性血小板減少性紫斑病との関連も示唆され,さらに動脈硬化などの全身疾患への関連も研究されているがまだ明らかとなっていない.
診断
H. pylori感染診断法としては,胃内視鏡検査を必要とする侵襲的検査法(迅速ウレアーゼ試験,培養法,鏡検法など)と内視鏡検査を必要としない非侵襲的検査法(尿素呼気試験,抗体価検査,便中抗原測定など)がある(日本ヘリコバクター学会ガイドライン作成委員会,2009).それぞれ診断法には特徴があり,それをよく理解して目的により使い分けなければならない(表4-5-4). 初検査時にはいずれの検査法も有用である.除菌治療判定には感度・特異度にすぐれた13C尿素呼気試験(urea breath test:UBT)が多用されるが,除菌治療終了後2週間以上経過した後に実施することが重要である.またプロトンポンプ阻害薬(proton pump inhibitor:PPI)内服中における偽陰性にも注意せねばならない.抗体測定法は除菌後も抗体価低下に半年から1年程度かかるため迅速な除菌判定には不向きである.
治療
わが国では胃潰瘍,十二指腸潰瘍のみが除菌治療の保険適用となっていたが,2010年に胃MALTリンパ腫,特発性血小板減少性紫斑病,早期胃癌における内視鏡的治療後胃が追加適用となった.また,日本ヘリコバクター学会では2009年のガイドライン改訂において,広くH. pylori感染症を除菌治療対象として推奨している. 本菌に対する除菌治療はPPIとペニシリン系のアモキシシリン(AMPC)およびマクロライド系のクラリスロマイシン(CAM)を同時に1週間併用する3剤併用療法が用いられ,初期には約90%の除菌効果が得られたが,最近はCAM耐性菌増加により除菌率が低下する傾向にある.二次除菌療法としてCAMにかわりメトロニダゾール(MNZ)を用いた3剤併用療法が保険認可されており90%近い除菌率を得ている.三次除菌法は確立されておらず,欧州ガイドライン,わが国のガイドラインでもニューキノロン系抗菌薬などが候補とされているが保険認可には至っていない.除菌治療に際しては,使用する抗菌薬による下痢・軟便や味覚異常などの副作用,また抗生物質起因性出血性腸炎など重篤な副作用にも注意を要する.[兒玉雅明・藤岡利生]
■文献
NIH consensus development panel. JAMA, 272: 65-69, 1994.
日本ヘリコバクター学会ガイドライン作成委員会:H. pylori感染の診断と治療のガイドライン. 2009改訂版 日本ヘリコバクター学会誌 10: 104-128, 2009.
Warren JR, Marshall BJ: Unidentified curved bacilli on gastric epithelium in active chronic gastritis. Lancet, i: 1273-1275, 1983.
出典 内科学 第10版内科学 第10版について 情報