ヘルツバーグ(読み)へるつばーぐ(英語表記)Gerhard Herzberg

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ヘルツバーグ」の意味・わかりやすい解説

ヘルツバーグ
へるつばーぐ
Gerhard Herzberg
(1904―1999)

ドイツ生まれのカナダ分光学者。ハンブルクに生まれる。ダルムシュタット工科大学に学び、1928年に学位を得る。その後、ゲッティンゲン大学とブリストル大学で研究を続け、1930年ダルムシュタット工科大学で物理学の講師についた。しかし、ドイツ国内でナチスが台頭したため、1935年にカナダへ亡命、サスカチェワン大学の教授を1945年まで務めた。1945年から1948年まで、アメリカのシカゴ大学ヤーキス天文台で分光学教授を務めたのち、カナダへ戻り、国立研究所に勤務、1955年には同研究所の純粋物理学部門の部長となり、1969年に退職した。

 ラジカル(遊離基)やイオンの分光学を研究し、閃光(せんこう)光分解法を利用したラジカルの吸収スペクトル分子構造を解明した。この業績により、1971年にノーベル化学賞を受賞。また、分光学の天文学への応用研究でも知られている。

[編集部]

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化学辞典 第2版 「ヘルツバーグ」の解説

ヘルツバーグ(ヘルツベルグ)
ヘルツバーグヘルツベルグ
Herzberg, Gerhard

ドイツ生まれのカナダの分子分光学者.1928年ダルムシュタット工科大学で学位を取得後,ゲッチンゲン大学およびイギリスのブリストル大学で研究し,1930年母校の私講師となるが,妻がユダヤ系であったことから,1935年カナダに移り,サスカチュワン大学の教授となった.1945~1948年シカゴ大学Yerkes天文台教授の後,カナダに戻りNational Research Councilの物理部門主任研究員となり,1955年に同部門が純粋物理と応用物理に分かれたときに純粋物理部門の長となった.1969年に部門が再統合されてからは“功労研究者”(Distinguished Research Scientist)として遇され,1994年の引退まで勤め,その後も名誉研究員の地位にあった.分子分光学の分野において多岐にわたる業績をあげ,多くの二原子分子および多原子分子構造,とくにCH,CH2,CH3などをはじめとする遊離基の構造を分光学的に決定し,これらの結果は全3巻の“Molecular Spectra and Molecular Structure”(1939~1966年)にまとめられた.以上のような研究で,1971年ノーベル化学賞を受賞.さらに分光学的手法を惑星大気や彗星,星間分子同定に応用した.

出典 森北出版「化学辞典(第2版)」化学辞典 第2版について 情報

百科事典マイペディア 「ヘルツバーグ」の意味・わかりやすい解説

ヘルツバーグ

カナダの物理学者。ドイツのハンブルク生れ。ダルムシュタット工科大学卒。1935年カナダに渡り,1945年同国に帰化。1945年シカゴ大学ヤーキス天文台教授,1949年―1969年カナダ国立研究所員。専攻分光学で,スペクトルを手がかりとして多数の二原子分子,多原子分子などの構造を決定,また分光学的方法で惑星,すい星,星間空間に存在する分子の同定に成功。1971年ノーベル化学賞。

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