ペイトン(読み)ぺいとん(英語表記)Elizabeth Peyton

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ペイトン」の意味・わかりやすい解説

ペイトン(Elizabeth Peyton)
ぺいとん
Elizabeth Peyton
(1965― )

アメリカの画家。コネティカット州西部のダンブリー生まれ。ジョン・カーリンとならんで、1990年代後半の大衆文化の影響を反映した具象絵画の流行の火付け役であり、中心的な担い手である。

 作品は、ロック・スター、歴史上の人物、有名人、友人たちなどの肖像で、タイトルも『カート』(1995)、『青いリアム』『シド』(ともに1996)のように、人物のファースト・ネームのみを付した簡略なものである。写真をもとに縦横10~20センチメートル大の小さなカンバスや木製の板に油彩で描かれ、鮮やかな発色の赤、黒、青、紫などの色彩、大きな色面、流れるような筆跡とともに、顔を強調した構成によって観客に強い印象を残す。特に、白っぽい顔色に、澄んだ青や黒の瞳や真っ赤な唇が宝石のようにちりばめられている人物の顔は、本人とわからないほど極端に美化されている。

 実際にペイトンのモデルは、セックス・ピストルズのシド・ビシャスSid Vicious(1957―79)、ニルバーナボーカリスト、カート・コバーンKurt Cobain(1967―94)、ジョン・レノンのようなロック・スターや、有名人のなかでも強烈で短い生を生き、悲劇的な死を迎えた人物や、故ダイアナ元イギリス皇太子妃の子息ヘンリーPrince Henry Charles Albert David(1984― )などである。また、グランジ音楽のベックBeck(1970― )やオアシスのノエル・ギャラハーNoel Gallagher(1967― )とリアム・ギャラハーLiam Gallagher(1972― )の兄弟も好んで描かれる。彼らはヒッピーパンクの精神を受け継ぎ、感情的、美的好みを共有する仲間による小さな共同体を構成しようとする若者たちの代表者であり「聖人」であったため、ペイトンの作品はまず若い世代の観客によって支持された。

 1995年のベネチアビエンナーレで美術評論家フランチェスコ・ボナミFrancesco Bonami(1948― )が企画した、ウォルフガンク・ティルマンズなど大衆文化の影響を皮肉をまじえず素直で気取りのない美しさをもって描く若い世代の写真家の作品とともにペイトンの作品を展示したグループ展によって、ペイトンの作品は国際的な美術界や批評の舞台に登場する。また97年のMoMA(ニューヨーク近代美術館)における学芸員ローラ・ホプトマンLaura Hoptman (1961― )企画のカーリン、リュック・タイマンスとの3人展「ポジション60」でも高い評価を得る。この二つの展覧会は、表象批判の手段として具象表現を用いるアプロプリエーションから離れて、絵画や写真における新しい具象表現を探求し、前衛芸術進歩主義によって抑圧された民衆的な芸術表現(無名の人々の心を代弁し魅了する力)を再評価することで、現代美術の制度的特権性を修正するという機能を果たした。また、彼女が描く男性の女性的な美しさは、フェミニズムのなかでも、ジェンダー学研究者ジュディス・バトラーJudith Butler(1956― )が90年代初めに提唱した、両性具有の身体や仮装の遊戯的なパフォーマンスによる、既成の性役割の常識を覆す力や、欲望の主体としての女性の感情や想像力の力について考察を促す問題性もはらんでいた。

 90年代後半を通して、サン・パウロ・ビエンナーレ、サンフランシスコ近代美術館、ロンドンのホワイトチャペル・ギャラリーなどの重要なグループ展に参加。2001年ハンブルク美術館で初個展。02年ポンピドー・センターにおける「親愛なる画家たち――ピカビア以降の具象絵画」に参加。

[松井みどり]

『Elizabeth Peyton, David RimanelliElizabeth Peyton; Live Forever (1997, Hogado, Tokyo)』『Elizabeth Peyton in an Interview with, Linda Pilgrim (in Parkett, no.53, 1998, Parkett Publishers, Zürich / New York)』『Elizabeth Peyton, Ronald JonesElizabeth Peyton (2002, Hatje Cantz Publishers, New York)』『樹村緑著「跳ね返る視線と分裂する鏡像――80―90年代における覗きの快楽と女性の表現」(『美術手帖』1999年3月号所収・美術出版社)』『Francesco Bonami, Judith NesbittExamining Picture (1999, Whitechapel Art Gallery, London )』『Laura HoptmanProjects 60; John Currin, Elizabeth Peyton, Luc Tuymans (catalog, 1997, Museum of Modern Art, New York)』


ペイトン(K. M. Peyton)
ぺいとん
K. M. Peyton
(1929―2023)

イギリスの児童文学作家。本名はキャスリーン・ウェンディ・ペイトンKathleen Wendy Peyton。バーミンガムに生まれ、美術学校を飛び出して結婚したのち、作家としてデビュー。第一次世界大戦を挟んで、馬を交通機関としていたころから大き揺れ動く時代変化を背景に、フランバーズ屋敷にかかわる人々の姿を描いたシリーズ「フランバーズ屋敷の人びと」(1967年『愛の旅だち』、1969年『雲のはて』『めぐりくる夏』、1981年『愛ふたたび』)により、作家としての地位を確立した。変化に富んだ筋立て、ダイナミックな動きの描写が得意。エセックスの自宅で3頭の馬を飼っていたほどの馬好きで、1999年の『ブラインド・ビューティー』に至るまで、馬や馬をとりまく人々を主人公にした作品が多い。

[掛川恭子]

『掛川恭子訳『運命の馬ダークリング』(1994・岩波書店)』『掛川恭子訳『フランバーズ屋敷の人びと1 愛の旅だち』『フランバーズ屋敷の人びと2 雲のはて』『フランバーズ屋敷の人びと3 めぐりくる夏』『フランバーズ屋敷の人びと4・5 愛ふたたび(上下)』(岩波少年文庫)』『掛川恭子訳『バラの構図』(岩波少年文庫)』


ペイトン(Alan Paton)
ぺいとん
Alan Paton
(1903―1988)

南アフリカ共和国の白人作家、政治家。ナタール大学卒業後教職につき、のち13年間黒人感化院院長を務めながら、黒人犯罪の防止と刑法の改正、人種差別撤廃を訴え続けた。1953年に南アフリカ自由党の党首になったが非合法化され、一時期イギリスに居住していた。代表作は『叫べ、愛する国』(1948)。ほかに小説『ヒレアシシギは遅すぎて』、短編集『ドビよ、家へ帰れ』『荒廃した国の物語』や、政治評論集、伝記、自伝『山に向かいて』などがある。

[土屋 哲]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ペイトン」の意味・わかりやすい解説

ペイトン
Payton, Walter

[生]1954.7.25. ミシシッピ,コロンビア
[没]1999.11.1. イリノイ,バーリントン
アメリカ合衆国のアメリカンフットボール選手。本名 Walter Jerry Payton。得点力と持久力の高さで長い間リーディングラッシャーの記録を保持し,偉大なランニングバック RBと称される。 1975年,NFLのシカゴ・ベアーズに入団。引退までの全期間 (12シーズン) を通してベアーズに所属し,その大半をハーフバックのポジションでプレーした。最多ラン獲得ヤード (1万 6726ヤード) をはじめ,最多通算総合獲得ヤード,1試合最多ラン獲得ヤード,100ヤード以上を獲得した試合数,生涯最多ラッシング・タッチダウン数など,数々の NFL記録を打ち立て,1987年引退。同年ウォルター・ペイトン賞が設立され,全米大学体育協会 NCAAの1部 AAの最優秀選手に毎年授与されている。 1993年,プロフットボールの殿堂入り。

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