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ペルッツィ家 ペルッツィけPeruzzi

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

ペルッツィ家
ペルッツィけ
Peruzzi

中世イタリアのフィレンツェの貴族の家系,大金融業者。 12世紀頃までにはすでに有力貴族であったが,1260年フィリッポ・ディ・アミデオが教皇派 (グェルフィ) 連合の指導者となり,84年に新設されたプリオレ (市執政官) 職に選ばれた。その後一族からはプリオレに選ばれること 53回,ゴンファロニエーレ (最高執政官) には9回というほどに多くの市政高官を輩出した。 13~14世紀に大規模な商業・金融活動を営み,ナポリ,パリ,ロンドンなどの大都市に事業所をおいて諸国王,諸侯に巨額の融資をした。しかし,百年戦争の際にフィレンツェの同業者バルディ家と組んでイングランド王エドワード3世に融通した巨額の貸付金がこげついて,1343年に倒産の憂き目にあい,一族の没落だけではなくフィレンツェ市の財政に多大の混乱をもたらした。

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世界大百科事典 第2版の解説

ペルッツィけ【ペルッツィ家】

中世フィレンツェの大商人の一族。同市のサンタ・クローチェ地区に居住し,現在でもペルッツィPeruzzi広場にその名をとどめる。バルディ家と同様,13世紀後半~14世紀前半に国際的商業・金融業,毛織物工業に活躍し,富を蓄積して有力化した。各地に支店をもち,各地の権力者に金融を行い,代償としてさまざまの経済的特権を獲得したが,イギリス王への債権(ある史料によれば60万フィオリーニ)やナポリ王への債権の回収が不可能となり,1345年に倒産した(ちなみに,ビラーニG.Villaniの《年代記》によれば,1339年の項にはフィレンツェの年間財政収入は30万フィオリーニとある)。

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