ササン朝ペルシア第21代の王(在位531~579)。不死霊王、正義王とよばれる。貧農の娘を母とし、兄弟を殺して登位したと伝えられる。一種の共産制を教義とする新興宗教マズダク教の隆盛による、父王カバード1世末期の社会的混乱を収拾し、税制、官僚制、軍制を改革して、中央集権化を進め、ササン朝を中興した。ビザンティン帝国と長年争い、また突厥(とっけつ)と連合して559年ごろエフタルを滅ぼした。ササン朝の版図をオクサス川、カフカス、シリアにまで拡大し、570年ごろイエメンを征服した。都市建設などの土木工事、医学校の設立、新プラトン派のギリシア人学者の擁護などを行った。サンスクリット文献の収集と翻訳、アベスタ文字の制定を命じたともいわれる。ササン朝第一の英主とされ、後のアッバース朝は同王の治世を模範とした。
[奥西峻介]
出典 旺文社世界史事典 三訂版旺文社世界史事典 三訂版について 情報
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