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ホームステッド法 ホームステッドほうHomestead and Exemption Laws

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

ホームステッド法
ホームステッドほう
Homestead and Exemption Laws

アメリカ市民に公有地を提供した一連の自営農地法をいう。特殊的には 1862年5月 20日連邦議会で成立した自営農地法をさす。 1785年の土地法以来 19世紀前半に行われていた公有地処分法は連邦政府の歳入源確保を第1目的としたものであった。 1830年代無償払下げを要求する農民と労働者の連帯も G.エバンズらを指導者として進み,A.ジャクソン大統領は「公有地ができるだけ早く歳入源でなくならなければならない」と言明した。 46年ホームステッド法案が連邦議会に提出され,52年にいたって投票にかけられたが上院で否決。 48年自由土地党が綱領の一つとしてこれを掲げたが,60年まで大政党はこれを取上げず,南部と東部で反対勢力が強く制定が阻止された。 60年 G.グロウが再提案し上下両院を通過したが J.ブキャナン大統領が拒否権を行使。共和党大統領選挙戦での勝利と南部諸州の分離により情勢が有利に展開し,62年5月 20日ようやく成立をみた。内容は,21歳以上のアメリカ市民あるいは市民になろうとする者で,家長または 14日間以上軍隊にいた者,連邦に反逆したことのない者に,10ドルの登録料で5年間定住し開墾すれば 64ha (160エーカー) の公有地を無償で譲渡するというものであった。その後種々の補足的法案が付加されたが,実質的にはこれらの土地法は,自営農民になろうとする者よりも,大企業,土地投機業者などの土地買占めに利用されることが多かった。

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百科事典マイペディアの解説

ホームステッド法【ホームステッドほう】

1862年米国で制定された自営農民育成を目的とした法律。合衆国市民であるかまたは帰化を望む家長で,定住し,農業を営む意志のある者に160エーカーの国有地を5年間の居住・開墾の後無償で与えることを定めた。

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世界大百科事典 第2版の解説

ホームステッドほう【ホームステッド法 Homestead Act】

アメリカ合衆国において,公有地を開拓民に無償で与えた法律。1862年に成立したこの法の下で,年齢21歳以上の合衆国市民は160エーカー(約65ha)の公有地を,5年間の居住・開墾の後に無償で取得することができた。植民地時代以来,だれもが自分の土地をもって独立できるというのが〈アメリカの夢〉であったが,この法律は,その夢に実質的内容を与えたものといえる。公有地は当初,連邦政府の財源とみなされていたが,やがて現実に土地を利用する開拓民に有利な方向へ政策が展開していった。

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大辞林 第三版の解説

ホームステッドほう【ホームステッド法】

1862年に成立したアメリカの法律。5年間の居住と開墾を条件に一六〇エーカーの公有地を無償で与えることなどを定める。土地投機にも悪用されたが、西部開拓に大きな役割を果たした。自営農地法。1976年廃止。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

ホームステッド法
ほーむすてっどほう
Homestead Act

1862年にアメリカ合衆国で、公有地の無償交付を要求する西部の農民の声にこたえて制定された自営農民育成のための法律。自営農地法とも訳される。その内容は、一家の家長または21歳以上の合衆国市民、あるいは市民たらんとする者に対し、160エーカー(約65ヘクタール)の公有地の占有権を認めるというもの。ただし、5年間はその地に居住し、土地を開墾整備しなければならない、という条件がついている。若干の手数料を支払うだけで農家一家族が自立するに足る面積の土地を無料で払い下げるという同法の制定により、農民の西部への移動は大いに促進された。しかし反面、法律の抜け穴を巧みに利用して、不動産業者が不当な利益をむさぼり、自営農民育成という所期の目的は十分に達成されたとはいえなかった。[平野 孝]

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世界大百科事典内のホームステッド法の言及

【ギャング】より

…南北戦争から19世紀末にかけてのアメリカは,秩序ある体制を固めつつある時代であった。公有地入手の道を大きく開いたホームステッド法(自営農地法)の制定(1862)は,東部資本家と西部開拓民との利害の一致によって実現したものであり,物理的にも東部と西部は大陸横断鉄道の完成(1869)によって結ばれる。南北戦争で敗れた南部は,戦後連邦(北部)の指導の下に再建をすすめていく。…

【共和党】より

…西部出身でありかつホイッグ党出身のリンカンは,この連合の組織者であるとともに象徴でもあった。60年の政綱では奴隷制拡大反対を最大公約数とし,産業資本には保護関税政策を,農民層にはホームステッド(自営農地)法制定を,両者を結ぶものとして大陸横断鉄道の実現を約束し,広く東部の都市住民,西部の農民に訴えている。南北戦争後,共和党は急激に発展する東部の工業,ますます拡大する西部の農業を背景に,アメリカ資本主義の興隆を担う政党として,1929年よりの大恐慌にいたるまで,2名の民主党大統領の任期(S.G.クリーブランド,T.W.ウィルソン)を除き,政権を続けて掌握していた。…

【公有地政策】より

…こうした変遷の背景には,公有地を連邦政府の財源とみなす立場が弱まり,実際に利用する開拓民のためのものと考える立場が強まったという時代の流れがある。その傾向は,現実に開拓している者に最低価格での優先的購入を認めた先買権法(1841)で強められ,さらに,5年以上開拓に従事する者には160エーカーを無償で与えるというホームステッド法(1862)で頂点に達した。他方,公有地は社会資本の充実のためにも用いられ,鉄道建設援助のため,あるいは農業大学設立のために,鉄道会社や各州にも与えられた。…

【南北戦争】より

…歴史家ビアード夫妻は南北戦争を〈第2次アメリカ独立革命〉と呼び,経済史家H.フォークナーは,南北戦争が産業革命を推進し,北部資本主義の発展をもたらしたと述べた。南部奴隷制度は廃止され,保護関税であるモリル関税(1861),ホームステッド法(1862),国法銀行法(1863)が成立し,大陸横断鉄道(1869完成)の建設が認められた結果,北部産業資本の主導の下に国内市場が統一され,西部開拓が進展することとなった。 もちろん,南北戦争が直接的に経済成長を促進したわけではない。…

※「ホームステッド法」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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