公有地政策(読み)こうゆうちせいさく(その他表記)public land policy

改訂新版 世界大百科事典 「公有地政策」の意味・わかりやすい解説

公有地政策 (こうゆうちせいさく)
public land policy

アメリカ合衆国の連邦政府所有地を公有地といい,その管理,運営,処分に関する政策を総称して公有地政策という。合衆国国土は,独立以前にイギリスの植民地であった大西洋岸諸州を除き,ほとんどが一度は公有地であったし,今日でも国土の約3分の1は公有地である。また,アメリカの歴史は西部開拓の歴史でもあるが,開拓の進展を左右し,開拓後につくられる社会の形態を決定するうえで,公有地処分の方法は大きな影響を与えた。したがってアメリカの公有地政策は,単なる土地政策以上の重要性を有している。連邦政府が公有地を所有することになった理由は,独立後イギリスから獲得した広大な領土に対し,諸州が権利を放棄して国民共同の財産としたからであった。公有地は1803年のルイジアナ購入に続き,19年のフロリダ,46年のオレゴン,48年の南西部,67年のアラスカ取得と拡大を続けた。しかし,連邦政府はこれを所有し続けるよりは,民間に払い下げるという政策を19世紀末までとってきた。これは,初期の連邦政府が財政難から公有地を売却せざるをえなかったという事情もあるが,それ以上に,土地は民間の手にあってこそ,よりよく利用されうるという考え方に基づくものであった。もちろん,自分自身の土地と農場を求める人びとの要求があったことを忘れてはならない。

 最初の公有地売却法(1785)は,最低価格1エーカー(0.4ha)1ドル,最低売却単位640エーカーという条件であった。しかし,この売却単位は大きすぎて開拓農民には不適当であったので,1800年に320エーカー,04年に160エーカー,20年に80エーカー,32年に40エーカーと縮小された。最低価格は1796年にエーカー当り2ドルに値上げされたが,1820年に1ドル25セントに値下げされた。こうした変遷の背景には,公有地を連邦政府の財源とみなす立場が弱まり,実際に利用する開拓民のためのものと考える立場が強まったという時代の流れがある。その傾向は,現実に開拓している者に最低価格での優先的購入を認めた先買権法(1841)で強められ,さらに,5年以上開拓に従事する者には160エーカーを無償で与えるというホームステッド法(1862)で頂点に達した。他方,公有地は社会資本の充実のためにも用いられ,鉄道建設援助のため,あるいは農業大学設立のために,鉄道会社や各州にも与えられた。もっとも,公有地を投機的目的で取得した者や,不法に利用した者も多く,19世紀も末年に近づくと,国民共同の資産としての公有地を保護しようとする動きが生ずる。1872年にはイェローストーン国立公園がつくられ,91年には国有林が誕生し,売却処分に歯止めがかけられた。しかし,こうした資源保全,自然保護はその地域の発展を遅らせるという考え方もあり,現在も公有地の多い西部諸州では,開発促進の立場を支持する勢力が強い。
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出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

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