シュタイナー(読み)しゅたいなー(英語表記)Rudolf Steiner

日本大百科全書(ニッポニカ) 「シュタイナー」の意味・わかりやすい解説

シュタイナー(Jakob Steiner)
しゅたいなー
Jakob Steiner
(1796―1863)

スイス数学者。ベルンのウッツェンスドルフの生まれ。1814年まで農業に従事、のちにイフェルテンのペスタロッチ教育研究所に入り、あるときは生徒として、あるときは教師として、ペスタロッチの改革的な理想の実践に努めた。1818年、高等な数学を学ぶためにハイデルベルクに行き、微積分・代数学をシュバインFerdinand Schweins(1780―1856)に学ぶとともに、独学でフランス風の幾何学を修得した。1821年ベルリン大学に学び、教師の資格を得て、1825年ベルリンの工業学校教師となり、1834年F・H・A・フンボルトの推挙でベルリン大学の数学助教授となり、教授に昇進しないままベルリンで没した。

 彼の主たる業績は、19世紀における総合幾何学の代表的著作ともみられる『幾何学的図形の相互間の関係の体系的展開』(1832)である。優れた直観力をもち、解析を拒否しながら、美しい幾何理論、射影幾何学の発展に貢献した。1834年プロイセンの科学アカデミー会員に選ばれた。

[小松醇郎 2018年8月21日]


シュタイナー(Rudolf Steiner)
しゅたいなー
Rudolf Steiner
(1861―1925)

ドイツの哲学者、教育思想家。ウィーン工科大学、ウィーン大学で哲学、心理学、医学などを学んだ。またワイマールゲーテを研究(1890~1897)し、自然科学的思考法と精神的直観の統合追究、主著『自由の哲学』(1894)を生むことになった。1902年以来「人智(じんち)学」Anthroposophieを唱えた。その後、ドルナッハに精神科学教授のためゲーテアヌム(研究・教育機関)を設立し、さらに、シュトゥットガルトにバルドルフ煙草(たばこ)工場の付属学校として、子供の内的生命と自発性を尊重した最初のバルドルフ学校を設立した(1919)。教育上の主著としては『精神科学の立場から見た子どもの教育』(1907)、『教育の基礎としての一般人間学』(1919)があげられる。自由バルドルフ学校は世界各地に設立されている。

[舟山俊明 2015年2月17日]

『新田義之編『ルドルフ・シュタイナー著作全集31 教育と芸術』(1986・人智学出版社)』『子安美知子著『ミュンヘンの小学生』(中公新書)』

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「シュタイナー」の意味・わかりやすい解説

シュタイナー
Steiner, Rudolf

[生]1861.2.27. オーストリア,クラルイェビック
[没]1925.3.30. スイス,ドルナッハ
オーストリア生まれの神秘思想家,心霊主義者。1889~96年ドイツのワイマールで『ゲーテ全集』(→ゲーテ)の自然科学関係の論文編集を担当した。最初,エルンスト・ヘッケル,フリードリヒ・ニーチェの影響のもとに自由思想の立場に立ち,神秘主義に反対したが,1901年神智学 Theosophieに入り,1902年神智学会ドイツ部会の秘書となった。1912年にはみずから人智学会を設立し,人智学 Anthroposophieを創始した。1913年スイスのバーゼル近郊ドルナッハに「精神科学の学校」という位置づけのゲーテアヌムを建設(1922焼失)。またオイリュトミーと呼ばれる舞踊表現法を考案した。1919年に創設されたシュタイナー学校は人智学に基づいた教育を行ない,21世紀初頭までに世界中で 1000校をこえた。主著『自由の哲学』Die Philosophie der Freiheit(1894),『ゲーテの世界観』Goethes Weltanschauung(1897),『神智学』Theosophie(1904),"Eurythmie als sichtbare Sprache"(1927)。

シュタイナー
Steiner, Jakob

[生]1796.3.18. ベルン近郊ウーツェントールフ
[没]1863.4.1. ベルン
スイスの数学者。 19世紀の総合幾何学の創始者の一人。 14歳までほとんど教育らしいものを受けなかったが,18歳のときペスタロッチのイベルドンの学校に入り,その天性の資質が初めて芽生えた。その後苦学しながらハイデルベルク大学,ベルリン大学に通った。その後,A.クレーレの創刊した雑誌に彼の幾何学的諸発見を発表し,認められた。 1832年ケーニヒスベルク大学で学位を取得し,34年にはベルリン大学教授となり,生涯その職にあった。幾何学における解析的方法を嫌い,総合的方法を駆使して,いわゆる射影幾何学に属する多くの業績を残した。『全集』 Gesammelte Werke (2巻,1881~82) が出版されている。

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