コトバンクはYahoo!辞書と技術提携しています。

ボルカー ボルカー Volcker, Paul

2件 の用語解説(ボルカーの意味・用語解説を検索)

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

ボルカー
ボルカー
Volcker, Paul

[生]1927.9.5. ニュージャージーケープメイ
アメリカ合衆国エコノミスト,銀行家。フルネーム Paul Adolph Volcker。1979~87年連邦準備制度理事会 FRB議長を務め,1980年代のアメリカ経済安定化に重要な役割を果たした。

本文は出典元の記述の一部を掲載しています。

出典|ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
Copyright (c) 2014 Britannica Japan Co., Ltd. All rights reserved.
それぞれの記述は執筆時点でのもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

ボルカー
ぼるかー
Paul Volcker
(1927― )

20世紀後半を代表するアメリカのセントラルバンカー、経済官僚。アメリカの連邦準備制度理事会(FRB)議長を1979年から1987年まで務め、物価と基軸通貨であるドル相場の安定に努め、世界の経済界から「ドルの守護神」とよばれた。カーター政権下で2桁(けた)台に達していていた悪性インフレを征圧、対外債務問題が表面化した1980年代の中南米金融危機に際しては、主要国・国際金融界の要として、救済策のとりまとめに活躍した。
 1927年アメリカのニュージャージー州ケープ・メイでドイツ系アメリカ人技士の子として誕生。1949年にプリンストン大学を卒業、卒業論文はFRBの研究だった。その後、ハーバード大学院へ進み、ロンドン・スクール・オブ・エコノミックス(LSE)に留学した。1952年にニューヨーク連邦準備銀行へ入行。チェース・マンハッタン銀行(現、JPモルガン・チェース)を経て、1961年財務次官補、1965年から1969年までチェース・マンハッタン銀行副頭取を務めた。
 1969年から1974年まで財務次官、1975年から1979年までニューヨーク連銀総裁を歴任し、アメリカの金・ドル交換停止(ニクソン・ショック)、主要通貨の変動相場制への移行、石油危機など戦後経済史の主要なできごとに第一線の経済・金融担当者として立ち会った。
 1979年から1987年までのFRB議長時代には、大胆な金融引締めを断行し、アメリカ経済を悩ませてきたインフレを抑制するのに成功。また行き過ぎたドル高を是正するため、1985年のプラザ合意達成に尽力した。市場の信任は厚かったが、財政赤字の削減などを訴え続け、時のレーガン政権とも対立、2期務めたFRB議長職をグリーンスパンに引き継いだ。
 議長を退いたあとも、さまざまな公職を歴任。破綻(はたん)した日本長期信用銀行を買収したリップルウッド・ホールディングスの顧問なども務めている。日本の元財務官、行天豊雄(ぎょうてんとよお)(1931― )との共著『富と興亡――円とドルの歴史』では国際通貨交渉の生々しい内幕を証言している。[矢野 武]
『ポール・ボルカー、行天豊雄著、江沢雄一監訳『富と興亡――円とドルの歴史』(1992・東洋経済新報社) ▽M・G・ハジミカラキス著、今喜典・永田百合訳、蝋山昌一監訳『米国の金融市場と金融政策――ボルカー時代とその後』(1986・東洋経済新報社) ▽ウィリアム・R・ナイカーク著、篠原成子訳『ボルカー――「ザ・マネー・マン」の肖像』(1987・日本経済新聞社) ▽ジョセフ・トリスター著、中川治子訳『ポール・ボルカー』(2005・日本経済新聞社)』

出典|小学館 日本大百科全書(ニッポニカ) この辞書の凡例を見る
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの解説は執筆時点のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

ボルカーの関連キーワードチャージャーニュージャージーニュージョージアじゃーじゃじゃーみースキージャーナルオペロンジャージジャージー[種]ニュージャージー[州]ニューヨーク・ニュージャージー港湾公団

今日のキーワード

信長協奏曲(コンツェルト)

石井あゆみによる漫画作品。戦国時代にタイムスリップした現代の高校生が病弱な織田信長の身代わりとして生きていく姿を描く。『ゲッサン』2009年第1号から連載開始。小学館ゲッサン少年サンデーコミックス既刊...

続きを読む

コトバンク for iPhone