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ボレリ Borelli, Giovanni Alfonso

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

ボレリ
Borelli, Giovanni Alfonso

[生]1608.1.28. ナポリ
[没]1679.12.31. ローマ
イタリアの数学,物理学,天文学,医学者。シチリア島のメッシナ大学教授 (1649) ,ピサ大学教授 (56) ,フィレンツェ実験研究所所員 (57) 。 1667年メッシナに戻りメッシナ大学教授をつとめたが,島民の反スペイン闘争で流浪し,ローマで元スウェーデン女王クリスティナに庇護された (74) 。『動物の運動について』 De Motu Animalium (2巻,80~81) を著わし,力学の原理に基づいて動物の運動を説明した。また彗星軌道が放物線であることを発見した (65) 。

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世界大百科事典 第2版の解説

ボレリ【Giovanni Alfonso Borelli】

1608‐79
イタリアの数学者,医学者。ピサ大学で医学と数学を修め,卒業後メッシナ大学の数学教授となり(1649),翌年フィレンツェの実験研究所に入る。筋肉の運動をはじめとして,生理学の研究に,数学・物理学の原理を応用した。10年後メッシナに戻ったが,市民の反乱事件にまきこまれ,かろうじてローマに逃れて,ローマ定住の元スウェーデン女王クリスティーナの侍医を務め,僧院に寄寓して数学を教え,老後をすごした。著書《動物運動論De motu animalium》は死後女王の出費で刊行され(1680‐81),当時の物理的医学派の代表作となった。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

ボレリ
ぼれり
Giovanni Alfonso Borelli
(1608―1679)

イタリアの数学者、医師。ナポリの生まれ。ガリレイの弟子で、マルピーギの師である。ローマのカステッリBenedetto Castelli(1578―1643)のもとで数学を学び、シチリア島のメッシーナ大学の数学教授となり、ついでピサ大学の教授となった。数学、物理学、化学の知識を、呼吸、消化、尿の分泌などの生理現象の説明に応用した。とくにその著書『動物の運動』De Motu Animalium(1685)に記載しているように、動物の運動や伸筋、屈筋の調節的活動にも応用した。また心室筋線維の螺旋(らせん)状配列による心室収縮の有効性を明らかにし、心拍出力を計算した。また大動脈血流量から腹部内臓器官への比較的流量の計算(大動脈流量の約2分の1)もした。退任後はスウェーデンの前女王クリスティーナ(自由意志でローマに亡命)の侍医を務めていた。[中山 沃]

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世界大百科事典内のボレリの言及

【消化】より

…こうして消化の化学的研究が深まった。同時にこのころから消化の物理(力学)的な側面も取り上げられるようになり,G.A.ボレリは,鳥の胃が砂を含んでいてひき臼の作用をもち,ガラス球や木片も破砕することを述べた。しかし彼は,消化液の作用も否定したわけではない。…

【生命】より


[生命機械論の成立]
 ガリレイが血液循環の発見者W.ハーベーに直接影響を及ぼしたかどうかは不明だが,ハーベー自身はアリストテレス主義者であったにもかかわらず,かれの研究にはガリレイ的方法があらわれていた。また筋運動の力学的理解を基礎づけたG.A.ボレリはガリレイの弟子であった。17世紀において生命の機械論が提起される機は熟しつつあり,デカルトがそこにあらわれたのである。…

※「ボレリ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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