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ポリテクニコ Il Politecnico

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

ポリテクニコ
Il Politecnico

第2次世界大戦直後のイタリアの総合雑誌。フランスの『タン・モデルヌ』誌と創刊の辞を交換し合って,ミラノで刊行された。編集責任者は小説家ビットリーニ。 1945年9月 29日から 46年4月6日まで週刊で 28号を,次いで 46年5月から 47年 12月まで月刊で 11号を,それぞれ発刊した。抵抗運動と解放戦争に参加した知識人が中心となり,国際的視野で,文学,哲学,科学,政治,社会問題に及ぶ広い内容を扱い,新しい文化の建設を企図した。特に,政治と文化の関係をマルクス主義の見地から検討し,これをめぐって共産党首脳トリアッチとビットリーニの論争が行われ,雑誌は終刊した。おもな寄稿家に,フォルティーニカルビーノモンターレ,サーバらがいた。

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世界大百科事典 第2版の解説

ポリテクニコ【Politecnico】

1839年C.カッターネオによって創刊されたミラノの科学・文化誌。月刊誌として発足したが,2年目から隔月刊となる。時代の要請する科学と文化の新しいあり方を追求,同時代の思想形成にも大きな影響を与え,19世紀のイタリアで最も重要な雑誌の一つに数えられている。同誌は,カッターネオの指導のもとで,44年まで刊行(第1次シリーズ)。その後一時中断したのち,彼自身によって59年に再開され,68年まで続く(第2次シリーズ)。

出典 株式会社日立ソリューションズ・クリエイト世界大百科事典 第2版について 情報

世界大百科事典内のポリテクニコの言及

【イタリア】より

…非カトリックの領域では,クローチェが20世紀初頭以来,歴史,哲学,文芸評論,美学など多分野にわたる活動で思想界の中心的位置を占めてきた。ファシズムの崩壊後,文学者のビットリーニを中心に《ポリテクニコ》誌が刊行され,新世代による新しい文化の創造が目指されたが,政治と文化をめぐる共産党との論争にまきこまれて短命のうちに終わった。その後,グラムシの《獄中ノート》が公刊され,前述のようなイタリア・マルクス主義といわれるものが生み出されたが,グラムシの思想は単にマルクス主義のみでなく,政治と文化の幅広い分野にわたって大きな影響力をもった。…

【カッターネオ】より

…イタリアの歴史家,経済学者,政治活動家。ミラノ生れ。1839‐44年科学・文化に関する雑誌《ポリテークニコ》を主宰。48年3月〈ミラノの五日間〉と呼ばれる有名な反オーストリア蜂起では,〈戦争協議会〉の代表者として指導的役割を果たした。しかしオーストリアに対する軍事的勝利が確定し,臨時政府が樹立されると,サルデーニャ王国の介入に反対する彼の立場は少数派に転じた。その後オーストリア軍が再びミラノを奪還すると,パリに逃れ,のちルガノに移った。…

【ビットリーニ】より

…レジスタンスの際にビットリーニは,共産党と連携して指導的役割を果たし,同時に,銃火のさなかにあって長編小説《人と人にあらざるもの》を執筆,45年春のイタリア解放直後にこれを公刊した。さらに45年秋には総合文化雑誌《ポリテクニコ》を創刊し,ファシズムの跳梁を許した過去の文化への反省を出発点に,戦後の新しい文化の方向づけを企図した。だが,〈政治と文化〉をめぐる論争のうちに共産党との亀裂を深め,同誌は47年末に廃刊。…

※「ポリテクニコ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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