アメリカの物理学者。プロイセンに生まれ、幼時、両親とともにアメリカに移住。1873年海軍兵学校を卒業し、数回の航海ののち、母校の物理学の講師となる。1880~1882年ドイツ、フランスに留学、ヘルムホルツらに師事した。その後1882年オハイオ州のケース応用科学大学、1889年マサチューセッツ州のクラーク大学、1893年シカゴ大学の物理学教授を歴任した。1920年代に入ると、カリフォルニア工科大学で研究することが多くなった。研究テーマは一貫して光速の精密測定に関連したものであった。ベルリンに留学中、電磁現象の担い手(したがって光の媒質でもある)として宇宙空間に静止してあまねく存在するものと想定されていたエーテルに対する、地球の相対運動を実験的に検出する方法を考え実行に移した。その原理は、地球上の光源からの光を互いに直交する方向に往復させたあと干渉させ、さらに装置全体を水平面内で回転させて干渉縞(じま)の移動を見る、というものであった。実験結果は相対運動がないことを示した。1887年にモーリーと共同して精度を高めた実験を行ったが、結果はやはり否定的であった。のちにミラーDayton C. Miller(1866―1941)が1925~1926年に行った同種の実験で、太陽系の絶対速度が秒速200キロメートルであることを示す結果を得たと発表、マイケルソンらも追試を行ったが、ミラーの結果は再確認されなかった。
マイケルソンらの実験は相対性理論と一致するものであるが、マイケルソン‐モーリーの実験結果を説明することを直接的契機としてアインシュタインが特殊相対性理論を生み出したとする理解は、近年の科学史研究により否定されている。
マイケルソンがこうした実験のため改良した干渉計(マイケルソン干渉計)は、それ自体、実験物理学上の重要な功績であり、彼は光速の値そのものの精密測定においても貴重な貢献をした。また、1892~1893年には、パリのメートル原器の長さがカドミウムの赤色スペクトル線の波長の何倍かを測定し、その波長を長さの標準とすることを提案した。干渉計の考案とそれによる分光学およびメートル原器に関する研究で1907年にノーベル物理学賞を受賞した。アメリカ人として初めてのノーベル賞受賞であった。
[杉山滋郎]
プロイセン生れのアメリカの物理学者。2歳のとき家族とともにアメリカに移住した。1873年海軍兵学校を卒業し,2年間西インド諸島を巡航した後,海兵学校の物理学,化学の講師となった。その間にJ.ティンダルのアメリカ講演が刺激となって光速度の測定実験に着手し,79年にS.ニューカムに招かれてワシントンの水路部へ移り実験を続けた。翌年さらに研究を続けるために休暇をとって2年間ヨーロッパに留学し,ドイツではH.vonヘルムホルツやG.H.クウィンケに,フランスではM.A.コルニュやG.リップマンに師事した。帰国後海軍を辞職し,クリーブランドのケース応用科学学校,ウースターのクラーク大学の物理学教授を歴任し,1893年新設されたシカゴ大学の物理学部長に迎えられた。
彼は一貫して精密な光速度測定の実験にたずさわり,ドイツ滞在時に,光速度に及ぼす地球の運動の影響を見いだすための干渉計(マイケルソンの干渉計)を製作(1881),さらに帰国後モーリーEdward Williams Morley(1838-1923)の協力を得てより精密な測定が可能な干渉計をつくり,エーテルと地球の相対運動を見いだす実験(マイケルソン=モーリーの実験)を実施した(1886-87)。その結果は予想に反して否定的なものであり,当時信じられていた静止エーテルに対して深刻な問題を投げかけた。また干渉計を用いてカドミウムのスペクトル線の赤色が単色波であることを発見し(1892-93),その波長がメートル原器の代用となることを提案した。1907年精密干渉計の考案とそれを用いてなされた分光学およびメートル原器に関する研究に対して,アメリカ人初のノーベル物理学賞を受賞。アメリカ物理学会長,科学アカデミー総裁を歴任,29年ウィルソン山天文台へ移り死の直前まで実験研究を続けた。
執筆者:小林 武信
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…これら天文学的方法に対して地上の光学実験で光速度を測定した例の中では,1849年のA.フィゾーによる回転歯車を用いた測定(フィゾーの実験,3.13×108m/s)およびその翌年J.フーコーが行った回転鏡を利用した測定(2.98×108m/s)が有名である。その後,78年からA.マイケルソンによって光速度の精密測定が精力的に行われ,1926年にはカリフォルニアのウィルソン山とアントニオ山の間で光を往復させる実験において,2.99796×108m/sという値を得た。また37年ごろからはC.D.アンダーソンがカー・セルを用いて測定している。…
…その業務は,設立当初は長さと質量の国際原器を保管し,各国原器の検査を行うことおよびそれに関連する諸研究に限られていたが,1921年の条約改訂以後,電気,測光および電離性放射線の標準器やおもな物理量の目盛を維持し,かつ業務に関係する物理定数に関し測定と調整を行うよう拡張された。歴史的な業績としては,標準供給という本来の業務のほかに,ギヨームC.É.Guillaumeによるインバーの発見,マイケルソンA.A.MichelsonやファブリC.FabryとペローA.Perotによる光波干渉標準器の研究,佐久間晃彦による重力の絶対測定などがあり,測地学実験室内の地点Aは72年以降〈国際統一重力測定網〉の起点に選ばれている。国際度量衡局の業務の遂行はもっぱら国際度量衡委員会Comité International des Poids et Mesuresの指揮監督を受けて行われる。…
※「マイケルソン」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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