翻訳|Macintosh
アメリカのアップル社製のパソコン。Mac(マック)と略称される。1984年に発売され、GUIを採用して市場で成功したものとしては最初のパソコンとなった。その使いやすさはマイクロソフト社のウィンドウズ開発に大きな影響を与えた。アップル社は初期のマッキントッシュの成功にもかかわらず、MS-DOSないしウィンドウズを搭載したIBM互換機に押されて、一時は極端な業績不振に陥った。しかし、1998年に発売されたiMACの斬新(ざんしん)なデザインが受けて、ふたたび業績を伸ばした。そのオペレーティングシステム(OS)は幾多の変遷を経て、現在はMac OSとよばれる。IBM互換機はハードウェアとソフトウェアとが分離して開発、発売されるのに対し、それらを一体化して開発、発売するMacは、それが強みであると同時に弱みにもなっている。
[田村浩一郎]
『オーエン・W・リンツメーアー著、林信行・柴田文彦訳『アップル・コンフィデンシャル――誰も書かなかったアップル・コンピュータ20年の真実』(2000・アスキー)』▽『スコット・ケルビー著、大谷和利訳『マッキントッシュ その赤裸々な真実!』(2003・毎日コミュニケーションズ)』▽『斎藤由多加著『林檎の樹の下で――アップル日本上陸の軌跡』復刻版(2003・毎日コミュニケーションズ)』
イギリスの建築家、デザイナー。グラスゴーに生まれ、同地の美術学校で建築を学ぶ。1891年イタリアに留学。93年以降、マクドナルド姉妹、マックネルとともに「四人組」とよばれるグループをつくり、アール・ヌーボー風の有機的なデザインを追求した。これによるクランストン・ティールーム(1897~98)はウィーン分離派の芸術家に大きな影響を与え、その名声は本国よりもヨーロッパ大陸で高まった。代表作にグラスゴー美術学校(1898~99)、同図書館(1907~09)、同地のヘレンスバラのヒル・ハウス(1902~03)など多くの住宅設計がある。1913年ロンドンに移り、建築との関係を絶って家具や布地のデザインに従事し、23年にはフランスに移住して水彩画に専念、ロンドンに没した。
[高見堅志郎]
イギリスの近代建築家,家具デザイナー,画家。グラスゴーに生まれ,設計事務所に勤めるかたわらグラスゴー美術学校で建築を学び,奨学金を受け1891年にイタリアに旅行。同美術学校の仲間(一人はのちに結婚したマーガレット)と〈四人組〉を結成。93年ころから活発に活動し,ポスター,家具,工芸品などのデザインに,古代ケルト人のモティーフ,植物や人体に基づく曲線,さらに浮世絵に学んだ斬新な表現法等により,ヨーロッパ大陸のアール・ヌーボーに呼応する動きとして注目を浴びる。彼自身もウィーン・ゼツェッシオン展(1900),トリノの国際装飾展(1902)に出品し,高い評価を得た。グラスゴー美術学校新築の競技設計(1896)に入賞,2期にわたる全工事(1909)を担当し,彼の代表作となる。97年よりグラスゴーに設計した一連の喫茶店には,室内装飾の才覚がよく発揮された。ここでは内装,家具はもとより,食器もデザインし,(イングラム街の店,1903)柳の木を中心的モティーフとしたソーチーホール街の店(1904)は,〈ウィロー・ティールーム〉として知られる。彼が手がけた住宅,ヒル・ハウス(ヘレンズバラ,1903)は,隅の塔状の部分などスコットランドの伝統を受け継ぐ外観をもつが,非対称的な平面計画,寝室の白に統一された色調,植物に基づくモティーフで表現される室内装飾を特徴とする。1914年にグラスゴーを離れ,ロンドンに移って壁紙などをデザインするが建築作品を残すことなく,晩年には水彩画に没頭すべくフランスに渡った。ロンドンで没。
執筆者:星 和彦
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…しかし,コマンドをキーボードから入力するタイプの交流は操作性,信頼性,わかりやすさの点で,とりわけ,初心者ユーザーにとっては十分ではないため,新たな交流のタイプの実現が求められるようになった。 1984年に一般ユーザー向けに発売されたマッキントッシュ(Apple社)には,今では基盤的なHI技術となっている,グラフィカルユーザーインターフェース(GUI)と直接操作性とが組み込まれた。これによって,HIは,コンピューターとの新たな交流の世界を広く普及させることになった。…
…また緑地に囲まれた独立的な都市の建設を提唱したE.ハワードの〈田園都市garden city〉構想は,理想主義的色彩が強いが,各国の都市計画に大きな影響を及ぼした。またグラスゴー美術学校(1897‐99)の設計で知られるC.R.マッキントッシュは,イギリスのアール・ヌーボーを代表する建築家,工芸家であるが,彼の機能主義的な一面は,ドイツ,オーストリアの建築家(ロース,ベーレンスら)にも影響を与えた。 20世紀のイギリス建築の主流はいわゆる国際様式に追随しているが,その一方ではハワードの〈田園都市〉構想の影響下に,自然とのつながりを重視してつくられたサセックス大学(1960)など,伝統を反映した作品も生まれている。…
…特にホフマンの業績は大きく,その代表作はブリュッセルのストックレー邸(1905‐11)であり,その室内装飾,家具,食器等生活用品のすべてをウィーン工房が担当したが,壁面装飾はクリムトが受けもった。これらの作品に指摘されるのは,グラスゴーの鬼才マッキントッシュの直線的な装飾原理との関連である。ウィーン工房設立の財政的擁護者であるフリッツ・ウェンドルファーが工芸家の一群をスコットランドに派遣して当地の工芸を実地に学ばせたほど,この工房とスコットランドの関係,特にマッキントッシュの空間処理の影響は強かった。…
…アール・ヌーボーの代表的作例であるオルタによるタッセル邸(1892‐93)やギマールによるパリの地下鉄入口では,創意に満ちた曲線的モティーフが見られた。同時にアール・ヌーボーの周辺では,〈シカゴ派〉に属するL.H.サリバンが高層ビルの原型を実現しつつあり,グラスゴーではマッキントッシュがオーストリアに影響を与えることになる直線的様式を発展させつつあり,またスペインのガウディは,ゴシック原理に基づきつつ,うねるような曲線を多用した独自の造形を追究していた。北欧やオランダでは中世建築の手づくりの造形を新しく再生させる試みがつづけられ,20世紀に入ってから,〈アムステルダム派〉を形成してゆく。…
※「マッキントッシュ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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