マデルナ(英語表記)Bruno Maderna

改訂新版 世界大百科事典 「マデルナ」の意味・わかりやすい解説

マデルナ
Bruno Maderna
生没年:1920-73

イタリア作曲家,指揮者。ローマサンタ・チェチリア音楽院卒業後,G.F.マリピエロに作曲を師事。第2次大戦後H.シェルヘンに指揮と十二音技法の手ほどきを受けた。ベネチア音楽院(1947-50),ミラノ音楽院(1957-58)やアメリカのバークシャー音楽センター(1971-72)で教えた。また指揮者としても活躍,ミラノの電子音楽スタジオの設立に協力し,モンテベルディらの楽譜校訂も行っている。イタリアにおける第2次大戦後最初の指導的な前衛作曲家で,十二音技法,電子音楽,偶然性など大戦後の新しい技法をいち早く取り入れながら,イタリアの伝統である歌唱性を融合させた作品を生み出した。主要作品に十二音技法に基づく13楽器のための《セレナータ第2番》(1957),テープフルートシンバルのための《二次元の音楽》(1952),《オーボエ協奏曲Ⅰ~Ⅲ》(1962,67,73),テープによるラジオ・ドラマ《歳月Ages》(1972),管弦楽曲アウラ》(1972)などがある。
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「マデルナ」の意味・わかりやすい解説

マデルナ(Carlo Maderna)
までるな
Carlo Maderna
(1556―1629)

イタリア・バロックの建築家。マデルノMadernoともいう。北イタリアのカポラーゴに生まれる。1588年にはローマに出てシクストゥス5世に任用されていた伯父にあたる建築家ドメニコ・フォンタナのもとで学んだ。最初の主要作品は1603年に完成したサンタ・スザンナ聖堂のファサードで、それはビニョーラポルタイル・ジェズ聖堂のデザインを祖型としている。同年サン・ピエトロ大聖堂の建築主任に任命され、ブラマンテミケランジェロが計画していた集中式プランを、身廊が付加されたラテン十字のバシリカに改変し、さらにファサードを拡張している。このほか教会建築にはミケランジェロの設計によるサン・ピエトロ大聖堂の円蓋(えんがい)を継承するサンタンドレア・デッラ・バッレ聖堂、世俗建築にはローマのパラッツォ・アンティーチ・マッティや、パラッツォ・バルベリーニの設計(建設はベルニーニ)などがある。

[小針由紀隆]


マデルナ(Bruno Maderna)
までるな
Bruno Maderna
(1920―1973)

イタリアの作曲家、指揮者。ベネチア生まれ。ローマのサンタ・チェチーリア音楽院を卒業、1950年ミュンヘンで指揮者としてデビュー。54年イタリア放送局がミラノに電子音楽スタジオを設立した際、ベリオとともに参画。以後、前衛音楽の紹介と普及に努めたほか、各地で講座をもち現代音楽を指導した。日本にもアンサンブル・ヨーロピアンという現代音楽の演奏団体を率いて61年(昭和36)初来日している。創作活動も盛んで電子音楽をはじめ多数の作品を発表しているが、代表作に管弦楽のための『アウラ』(1972)がある。ダルムシュタットに没。

[岩井宏之]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「マデルナ」の意味・わかりやすい解説

マデルナ
Maderna, Bruno

[生]1920.4.21. ベネチア
[没]1973.11.13. ドイツ,ダルムシュタット
イタリアの作曲家,指揮者。作曲と指揮を G.F.マリピエーロ,H.シェルヒェンに学ぶ。 1954年 L.ベリオとともにミラノのイタリア放送協会に電子音楽スタジオを創設。抒情性と実験的技法を合わせた前衛音楽の作曲家として活躍。 1967年以降ダルムシュタット室内合奏団,1972年以降ミラノ放送交響楽団常任指揮者。作品は『セレナータI』 (1946) ,テープのための『ノットゥルノ』 (1956) ,オーボエ協奏曲など。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

今日のキーワード

大臣政務官

各省の長である大臣,および内閣官房長官,特命大臣を助け,特定の政策や企画に参画し,政務を処理する国家公務員法上の特別職。政務官ともいう。2001年1月の中央省庁再編により政務次官が廃止されたのに伴い,...

大臣政務官の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android