マリピエロ

百科事典マイペディア 「マリピエロ」の意味・わかりやすい解説

マリピエロ

イタリアの作曲家。生地ベネチアボローニャで学び,ベネチアのマルコ図書館でモンテベルディフレスコバルディら16−18世紀イタリアの作曲家の音楽を知る。1913年パリでカセラと知り合い,また《春の祭典》の初演に立ち会い衝撃を受ける。以後ドビュッシーストラビンスキーの影響から出発してグレゴリオ聖歌以来のイタリア音楽の伝統に立脚した語法を模索し,管弦楽曲沈黙休止》(1917年),独唱,合唱と管弦楽のための《アッシジの聖フランチェスコ》(1921年)などを発表。一方でイタリア古楽の研究・校訂にも打ち込み,《モンテベルディ全集》(1926年−1942年)などの大きな業績を残した。多作家として知られ,11の交響曲(1933年−1969年),八つの弦楽四重奏曲,30曲を超えるオペラがある。パルマやベネチアの音楽院でマデルナ,ノーノらを教えた。→ピツェッティレスピーギ

出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報

改訂新版 世界大百科事典 「マリピエロ」の意味・わかりやすい解説

マリピエロ
Gian Francesco Malipiero
生没年:1882-1973

イタリアの作曲家。1904年までボローニャの音楽学校に学び,かたわら16~18世紀イタリア巨匠の作品を研究。13年パリに赴き,印象主義とストラビンスキーの作品を知る。パルマやベネチアの音楽院で教え,またモンテベルディ全集,ビバルディ全集の校訂を行う。新古典主義立場から近代イタリアの表現を模索し,交響曲11,《自然の印象》《沈黙の休止》などの管弦楽曲,弦楽四重奏曲,秘跡劇《アッシジの聖フランチェスコ》などの作品を残した。
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「マリピエロ」の意味・わかりやすい解説

マリピエロ
まりぴえろ
Gian Francesco Malipiero
(1882―1973)

イタリアの作曲家。祖父はオペラ指揮者、父はピアノ奏者で指揮者という音楽家の家系に生まれる。ウィーン、ベネチア、ボローニャの音楽学校で学ぶ。1921~1924年パルマ音楽院、1932年からベネチア音楽院で教え、1939~1952年には同院長を務める。作品はあらゆるジャンルにわたり、数も多い。若いころから関心のあった17世紀イタリア音楽の伝統と、旋法全音階半音階や大胆な不協和音、ときには無調などの新しい手法とを結合することにより、当時停滞していたイタリア音楽に新しい生命を与えた。代表作に交響曲第1~第11番(1933~1969)、オペラ『オルフェオ物語』(1925初演)、『ドン・ジョバンニ』(1963)。モンテベルディ全集の編集、研究がある。甥(おい)のリッカルドRiccardo M.(1914―2003)も作曲家、評論家として知られる。

[寺田由美子]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

ピティナ・ピアノ曲事典(作曲者) 「マリピエロ」の解説

マリピエロ

イタリアの作曲家。ピアニスト兼指揮者の父親のもとに生まれた。ピアノに関する作品として、ピアノ協奏曲や独奏ピアノのための曲を作曲している。両親が離婚したために、祖母や父親と共にトリエステやベルリン、ウ ...続き

出典 (社)全日本ピアノ指導者協会ピティナ・ピアノ曲事典(作曲者)について 情報

今日のキーワード

プラチナキャリア

年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...

プラチナキャリアの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android