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マニラ マニラ Manila

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

マニラ
マニラ
Manila

フィリピンの首都。正式名称はメトロマニラ Metro Manila。ルソン島のほぼ中央部,南シナ海から湾入するマニラ湾の東岸にある。 1975年マニラ市がケソンシティー市を含む近隣の3市 13町と合併してメトロマニラとなった。

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デジタル大辞泉の解説

マニラ(Manila)

フィリピン共和国の首都。ルソン島南西部のマニラ湾に臨む港湾都市。1571年にスペインレガスピが建設し、東洋交易の拠点として繁栄。独立後の1948年に郊外のケソンシティーに首都の座を譲ったが、1975年にケソンシティーとともに隣接地を併合して大マニラを構成。人口、行政区158万(2000)。

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百科事典マイペディアの解説

マニラ

フィリピン,ルソン島中部西岸にある同国の首都。マニラ湾に臨む港湾都市で,海空交通の要地。貿易が盛ん。中心はマラカニアン宮殿のあるサン・ミゲル。商業地ビノンドやエルミタなどの地区に分かれる
→関連項目フィリピンフィリピンのバロック様式教会群ルソン[島]

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世界大百科事典 第2版の解説

マニラ【Manila】

フィリピン共和国の首都。人口165万,メトロ・マニラの人口1486万(ともに1995)。ルソン島南西部,天然の良湾マニラ湾の東岸に立地し,パシグ川が東西に流れて市内を南北に二分する。年平均降水量は1791mm,その大半が南西モンスーンの卓越する6~11月に集中する。ルソン島屈指の農業地帯である中部ルソン平野と南部ルソンの丘陵地帯を後背地にもつ。 1571年にスペイン総督レガスピが植民地経営の根拠地をここに移して以降,300年以上にわたりスペインのフィリピン支配と極東におけるスペイン・カトリック権力の中枢で,かつメキシコと東洋を結ぶガレオン船の母港であった。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

マニラ
まにら
Manila

フィリピンの首都。同国北部、ルソン島南西部のマニラ湾に臨む。人口158万1082(2000)。1948~76年の間は、北東に隣接するケソン・シティに首都が置かれた。1970年代に入って加速されたマニラ近郊の人口増加によって大首都圏が形成され、行政上もケソン・シティなど4市13町をあわせてメトロポリタン・マニラが設けられている。その人口は993万2560(2000)で、全人口の約13%を占める。フィリピンの政治、経済、文化の中心地で、陸海空の交通網の拠点となっている。同国最大の貿易港をもち、マニラ湾にはつねに多数の外国船がみられる。マニラの名物の一つは極彩色ジープニー(小型バス)であるが、交通渋滞が激しく、1984年にマニラを横断してカロオカンとパサイを結ぶ高架鉄道が開通し、大衆的交通手段として役だっている。
 スペインとアメリカによる植民地支配の拠点であっただけに、アジアの諸都市のなかでも早くから西欧化された活気のある町として知られる。中心部にある旧城壁都市のイントラムロスは、太平洋戦争末期の激戦地であったため長く廃墟(はいきょ)となっていたが、旧市街地の復原が進み、観光名所の一つとなっている。ここにはカトリックのマニラ大聖堂やスペイン軍が築いたサンティアゴ要塞(ようさい)があり、その南の、独立の指導者ホセ・リサールの記念碑が立つリサール公園は国民的集会の場となっている。海岸沿いのエルミタ区とマラテ区には中級ホテルが集中している。パシグ川を4キロメートルほどさかのぼった所に大統領官邸、マラカニヤン宮殿がある。パシグ川下流の右岸は、かつては商業、金融の中心として繁栄を誇ったが、いまはさびれて昔日のおもかげはない。右岸でも河口に近いトンドはアジアの典型的なスラムとして知られる。マニラに流入した住民の30~40%は低湿地や空き地に住み着いて、不法居住者としての不安定な生活を送っている。
 マニラの南東に接するマカティは、1960年代からアヤラ財閥の手で開発され、フィリピンの金融、商業の中枢機能が集中している。整然たる大ビル街と高級住宅地区が交錯し、高級ホテルも多く、華やかなショッピング街が広がる。北東のケソン・シティは、1930年代に首都として計画的に建設された都市で、国会議事堂や官庁のほかに国立フィリピン大学など大学が多い。[高橋 彰]

歴史

マニラはフィリピン諸島のなかでもっとも早く開けた国際的交易地の一つで、16世紀前半にはイスラム文化北進の拠点になっていた。しかし、1571年にスペインがこの地をフィリピン植民地の首都として定め、パシグ川の南岸に城壁都市(イントラムロス)を建設した。城壁都市は政庁関係建造物、教会、修道院、スペイン人住宅などで占められ、経済活動は、城壁都市外の中国人居住地区パリアンや、パシグ川北岸のトンド地区で営まれた。マニラの国際的交易活動は、長らく、メキシコ―フィリピン間の大帆船(ガレオン船)による貿易(ガレオン貿易)と、アジア諸国、とくに中国との貿易に制限されていた。しかし、七年戦争の余波で、1762~64年の間、マニラがイギリス東インド会社に占領されたことや、メキシコの独立によって、1815年にはガレオン貿易が続行できなくなったことなどから、1834年にマニラは欧米諸国の船舶にも開港された。1898年フィリピンの領有権がスペインからアメリカに移って以降、マニラの相貌(そうぼう)は著しくさま変わりした。アメリカは政府関係建造物や銀行、商社、歓楽街などを城壁都市外に大規模に建設して、マニラを消費文化の中心地とした。第二次世界大戦中、日本のフィリピン占領の末年(1945)に、マニラはアメリカ軍の大規模な爆撃を受け、城壁都市の大半も壊滅した。[池端雪浦]

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