マハン
まはん
Alfred Thayer Mahan
(1840―1914)
アメリカの軍人、海軍戦略家、歴史家。アナポリス海軍兵学校卒業(1859)。南北戦争では南部海上封鎖活動に従事。南北戦争後の1867年極東への遠洋航海に加わり、日本にも寄港した。新設のニューポート海軍大学で1886年から戦術と海軍史を講義、二度同校長を務めた(1886~1889、1892~1893)。講義録は『歴史に及ぼした海上権力の影響、1660~1783』(1890)、『フランス革命・帝国に及ぼした海上権力の影響、1793~1812』(1892。邦訳『海上権力史論』)として刊行され、大海軍建設、商船隊拡充、海外基地・植民地獲得を包含した「海上権力」の理論は、帝国主義的海外進出を進めていた列強に大きな影響を与えた。国内でも海軍拡張に拍車をかけ、1890年代に発表された諸論文はT・ルーズベルトやロッジなど膨張主義者に「遠大な政策(ラージ・ポリシー)」の理論と戦略を提供した。アメリカ・スペイン戦争(1898)では海軍作戦局に参加して海軍長官を助け、1899年の第1回ハーグ平和会議にアメリカ代表として出席し、国際仲裁裁判方式や軍縮に反対した。
[高橋 章]
『麻田貞雄訳・解説『アメリカ古典文庫8 アルフレッド・T・マハン』(1977・研究社出版)』▽『北村謙一訳『海上権力史論』(1982・原書房)』
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マハン
Mahan, Alfred Thayer
[生]1840.9.27. ニューヨーク,ウェストポイント
[没]1914.12.1. ニューヨーク,クワグ
アメリカの海軍軍人,戦略家。コロンビア大学および海軍兵学校で学んだのち,少尉候補生から海軍勤務を開始,1885年大佐に進級するとともに,海軍大学校で戦史と戦略を教える教官となった。 96年 11月に在役 40年をもって大佐で退役するまでに,2度海軍大学校校長に就任。退役2年後に再び召還され,海軍参謀部,ハーグ平和会議の代表などを歴任し,1902年アメリカ史学協会会長,06年海軍少将となった。主著『海上権力史論 (1660年から 1783年の歴史に及ぼした海軍力の影響) 』 The Influence of Sea Power Upon History,1660-1783 (1890) ,『1793~1812年のフランス革命および同帝国に及ぼした海軍力の影響』 The Influence of Sea Power Upon the French Revolution and Empire,1793-1812 (92) ,『ネルソン伝』 The Life of Nelson (97) などはいずれも海軍力の歴史的役割と支配的影響力を明らかにしたもので,海軍兵学だけでなく近代の国際政治のうえにも強い影響を及ぼした。実践的には大海軍主義を唱え,アメリカ海軍の不断の強化を主張,第1次世界大戦前後までアメリカの膨張政策の理論的根拠を与えた。また現在の航空宇宙時代においても,マハンの戦略思想における海軍戦略の基礎的原則は,アメリカ海軍の兵学思想の中核をなすものとして重視されている。旧日本海軍の兵学思想もまたマハンの影響を最も強く受け,日露戦争における連合艦隊の作戦参謀秋山真之はアメリカ留学中マハンに学びその影響を受けた。
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マハン
Alfred Thayer Mahan
生没年:1840-1914
アメリカの海軍将校,戦略家,海外進出論の思想家。ニューヨーク州ウェスト・ポイントで陸軍士官学校軍事工学教授の子として生まれる。1859年アナポリスの海軍兵学校卒業後,兵科将校として勤務。85年,新設の海軍大学の海軍戦史・戦術の教官,翌年には同大学校長に就任。そのときの講義に基づき,90年に《海上権力史論》を発表,海上権力の重要性を大英帝国の興隆に範を採りつつ解明し,大海軍主義を力説した。近代的な渡洋戦艦隊をてことする彼の海外膨張論--制海権の掌握,海外根拠地・植民地の獲得,通商の拡張--は,T.ローズベルトやH.C.ロッジなどアメリカの指導者のみならず,イギリス,ドイツ,日本などにも甚大な影響を及ぼした。96年退役後も,国際政治,政治経済学,地政学,戦争論,文明論,アジア問題,伝記(とりわけ《ネルソン伝》)など,多岐にわたる執筆活動を続け,《海軍戦略》(1911)は,邦訳(海軍部内による抄訳,のち1932年に尾崎主税による訳書を水交社から上梓)を通じて第2次大戦前の日本の兵学思想にも広く浸透した。98年,米西戦争の際,海軍作戦部勤務,第1次ハーグ平和会議(1899)ではアメリカ代表の一員として活躍した。マハンの海上権力論の基本的思想は,兵器体系の大変容を経た今日の核時代においても,依然アメリカ(およびソ連・ロシア)の戦略思想の中に脈々として流れているといえよう。
執筆者:麻田 貞雄
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マハン
Alfred Thayer Mahan
1840~1914
アメリカの海軍軍人,海軍史家。『歴史に与えた海上権力の影響1660~1783年』(1890年)で戦略家としての名声を確立。大海軍建設の必要を説き,政治指導層に大きな影響を与えた。海軍退役後は時事評論に健筆をふるった。
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マハン
米国の軍人。海上勤務を経て海軍大学の教官,校長となり海軍史を講義。大海軍主義を唱え,海軍力が国家や歴史を動かす決定的要素の一つであると強調,国内ばかりでなく,英・独等にも大きな影響を与えた。主著《海上権力史論》(1890年)。
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世界大百科事典(旧版)内のマハンの言及
【アメリカ合衆国】より
…
[近代化と軍事大国化]
19世紀末,国内市場の充足とともに海外市場が注目され,海洋国家としてのアメリカの発展が主張されるようになった。ここに[A.T.マハン]などを中心に海外進出論,大海軍論が展開され,近代的海軍の建設に着手,イギリスにつぐ大海軍の建設が目標とされるようになる。他方,米西戦争で陸軍の旧式化が認識され,陸軍長官E.ルートの下で1903年,参謀本部の設置など陸軍の近代化が行われはじめる。…
【シーパワー】より
…国家が海洋を利用し海洋を支配するための総合的な力をいい,軍事力以外の要素も含む。アメリカの海軍戦略家A.T.マハンが《海上権力史論The Influence of Sea Power upon History,1660‐1783》(1890)で最初に用いた。マハンは歴史を分析し,海洋に面した国家の繁栄は,商品の生産,海運,植民地の連環する3要素によってもたらされたとし,海軍力は商業の保護のために存在するとした。…
※「マハン」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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