米西戦争(読み)べいせいせんそう

百科事典マイペディアの解説

米西戦争【べいせいせんそう】

アメリカ・スペイン戦争。1898年スペインの植民地キューバ独立運動を契機に米・スペイン間に起こった戦争。米国が勝ち,フィリピングアムプエルト・リコを奪った。キューバは独立を認められたが米国の保護国となった。米国がカリブ海を制覇し,西太平洋への根拠地を手にした決定的な戦争。→プラット修正
→関連項目カリブ海カリブ海政策パリ条約マッキンリーローズベルト

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世界大百科事典 第2版の解説

べいせいせんそう【米西戦争】

1898年キューバとフィリピンを舞台にアメリカとスペインの間で戦われた戦争。アメリカ・スペイン戦争ともいう。アメリカはこれに勝利,カリブ海を制覇し西太平洋への根拠地を手にして世界帝国への道を決定的なものにする。この戦争はアメリカ史上〈素晴らしい短い戦争〉と呼ばれるが,実際には,キューバとフィリピン民衆の,独立への長い凄惨な戦争の表層部にすぎなかったことがまず確認されなくてはならない。 長年のスペイン植民地支配に苦しむキューバ人は,高揚したナショナリズム背景に,1868年から10年間に及ぶ独立戦争を戦い,のち運動は鎮静化するが,95年再び反乱に立ち上がる。

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旺文社世界史事典 三訂版の解説

米西戦争
べいせいせんそう
Spanish-American War

スペイン植民地キューバの独立をめぐって,1898年アメリカ・スペイン間に起こされた戦争。アメリカ−スペイン戦争ともいう
アメリカは軍艦メイン号事件を機に宣戦し,フィリピンでもスペインを破り,パリ講和条約締結。この結果,スペインは,2000万ドルの賠償金のほか,キューバの独立を承認し,プエルトリコ・フィリピン諸島・グァム島をアメリカに譲渡(2000万ドル)した。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

米西戦争
べいせいせんそう

「アメリカ=スペイン戦争」のページをご覧ください。

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世界大百科事典内の米西戦争の言及

【アメリカ合衆国】より

… アメリカ合衆国は,建国期より19世紀末まではアメリカ大陸に発展することに専心し,広く国際政治に介入することを控え,孤立主義的であった。19世紀末,米西戦争を契機に世界列強となった合衆国は,第1次大戦,第2次大戦を経て超大国となり,政治,軍事,経済,文化の面で決定的な発言権をもち,〈全能のアメリカ〉が意識されるようになった。しかし,1960,70年代,内に人種紛争,外にベトナム戦争という挫折の体験を通し,さらに冷戦の終焉により,アメリカは世界の中の一国として,相対的に自己を位置づけるようになりつつある。…

【植民地】より

…ラテン・アメリカの独立諸国は,一次産品特化国として国際分業体制に密接に組みこまれつつ,しだいにアメリカによる一元的支配下に置かれるようになった。とりわけ米西戦争(1898)以降,キューバ,ドミニカ,パナマ,ニカラグア,ハイチなどは,軍事的干渉もしくは占領によって事実上保護国化され,アメリカの〈裏庭〉と呼ばれるようになった。
[植民地なき帝国主義]
 第2次世界大戦後の最大の変化は,植民地帝国がおしなべて縮小を余儀なくされ,その結果として一群の新国家が政治的独立によって出現し,〈南北問題〉にみられるように,さまざまな分野において国際的なパワーを形成するようになったことである。…

【フィリピン・アメリカ戦争】より

…おりしもキューバでも95年2月からスペインに対する独立革命が始まっていた。キューバに莫大な経済権益をもつアメリカは,キューバ独立を大義名分に98年4月25日スペインに宣戦布告し(米西戦争),フィリピン情勢にも介入した。アメリカは当初フィリピン独立運動支援を唱えたが,同年5月1日マニラ湾を占領したアメリカ軍は,革命軍との連帯を拒否して8月13日に単独でマニラを開城,9月下旬よりスペインと講和条約交渉に入り,12月10日両国間でパリ条約に調印した。…

※「米西戦争」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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