1898年キューバとフィリピンを舞台にアメリカとスペインの間で戦われた戦争。アメリカ・スペイン戦争ともいう。アメリカはこれに勝利,カリブ海を制覇し西太平洋への根拠地を手にして世界帝国への道を決定的なものにする。この戦争はアメリカ史上〈素晴らしい短い戦争〉と呼ばれるが,実際には,キューバとフィリピン民衆の,独立への長い凄惨な戦争の表層部にすぎなかったことがまず確認されなくてはならない。
長年のスペイン植民地支配に苦しむキューバ人は,高揚したナショナリズムを背景に,1868年から10年間に及ぶ独立戦争を戦い,のち運動は鎮静化するが,95年再び反乱に立ち上がる。それと前後しフィリピンでも,スペインの圧制をはねのけようと,96年民族主義者アギナルドを中心に大規模な反乱が起こされる。これに対し,当時キューバの砂糖・タバコ産業に多額の投資を行っていたアメリカでは干渉論が高まった。また,すでにハワイ併合に乗り出していたアメリカは,極東への通商拡大の拠点としてフィリピン諸島支配の機をうかがっていた。時あたかもアメリカ国内で,〈白人の責務〉をうたうナショナリズムが台頭していた。
1898年2月メーン号爆破事件を契機にアメリカ国内の世論が沸騰し,スペイン膺懲論が決定的となる。4月アメリカ議会はスペイン軍撤退を要求するが,これに対してスペイン政府は対米宣戦布告をもってこたえ,ここに米西戦争が始まった。アメリカは世界第2の海軍力を生かし,香港待機中のアジア艦隊をマニラ湾に向け,5月マニラに侵攻し,8月には同市を制圧した。一方,北大西洋艦隊はサンチアゴに上陸し,7月中旬同市を陥落させた。この戦闘にT.ローズベルトは志願兵を募って参加している。その後アメリカはプエルト・リコを占領するが,フランスの仲介で休戦会談,講和会議が開かれ,12月10日パリで講和条約が調印された。その結果アメリカは,2000万ドルをスペインに支払うことを条件に,全フィリピン諸島を譲り受け,さらにスペインはキューバを放棄,プエルト・リコとグアム島もアメリカに割譲した。翌年2月アメリカの帝国主義的拡張に反発する民主党を中心とした諸勢力の激しい反対を押し切って上院は同条約を批准した。
しかし,こうした大国間取引とは別に,アギナルドらはこれより先スペインとの戦争の中で98年6月独立を宣言して革命政府を樹立し,翌99年1月には東アジアにおける最初の共和国を誕生させた。しかしアメリカはそれを認めず,ここにフィリピン・アメリカ戦争が始まる。1902年フィリピン側は一応の降伏をするが,反米闘争の残り火は13年ころまで続いた。他方キューバは独立したとはいえ,アメリカの政治的経済的従属下に組み入れられ(プラット修正),プエルト・リコはアメリカの保護領に,グアムはアメリカ領に編入された。
執筆者:進藤 栄一
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
出典 旺文社世界史事典 三訂版旺文社世界史事典 三訂版について 情報
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
「アメリカ=スペイン戦争」のページをご覧ください。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
… アメリカ合衆国は,建国期より19世紀末まではアメリカ大陸に発展することに専心し,広く国際政治に介入することを控え,孤立主義的であった。19世紀末,米西戦争を契機に世界列強となった合衆国は,第1次大戦,第2次大戦を経て超大国となり,政治,軍事,経済,文化の面で決定的な発言権をもち,〈全能のアメリカ〉が意識されるようになった。しかし,1960,70年代,内に人種紛争,外にベトナム戦争という挫折の体験を通し,さらに冷戦の終焉により,アメリカは世界の中の一国として,相対的に自己を位置づけるようになりつつある。…
…ラテン・アメリカの独立諸国は,一次産品特化国として国際分業体制に密接に組みこまれつつ,しだいにアメリカによる一元的支配下に置かれるようになった。とりわけ米西戦争(1898)以降,キューバ,ドミニカ,パナマ,ニカラグア,ハイチなどは,軍事的干渉もしくは占領によって事実上保護国化され,アメリカの〈裏庭〉と呼ばれるようになった。
[植民地なき帝国主義]
第2次世界大戦後の最大の変化は,植民地帝国がおしなべて縮小を余儀なくされ,その結果として一群の新国家が政治的独立によって出現し,〈南北問題〉にみられるように,さまざまな分野において国際的なパワーを形成するようになったことである。…
…おりしもキューバでも95年2月からスペインに対する独立革命が始まっていた。キューバに莫大な経済権益をもつアメリカは,キューバ独立を大義名分に98年4月25日スペインに宣戦布告し(米西戦争),フィリピン情勢にも介入した。アメリカは当初フィリピン独立運動支援を唱えたが,同年5月1日マニラ湾を占領したアメリカ軍は,革命軍との連帯を拒否して8月13日に単独でマニラを開城,9月下旬よりスペインと講和条約交渉に入り,12月10日両国間でパリ条約に調印した。…
※「米西戦争」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...
11/21 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
10/29 小学館の図鑑NEO[新版]動物を追加
10/22 デジタル大辞泉を更新
10/22 デジタル大辞泉プラスを更新
10/1 共同通信ニュース用語解説を追加