改訂新版 世界大百科事典 「マハーラーシュトラ」の意味・わかりやすい解説
マハーラーシュトラ[州]
Mahārāshtra
インド西部の州。面積30万8000km2,人口9688万(2001)。州都はムンバイー(旧ボンベイ)。州名は〈マラーターの国〉の意で,歴史地名としてはデカン高原北西部のうち,ゴーダーバリー川上流域とクリシュナー川上流域との間の地帯をいう。歴史は古く,前1~後3世紀のサータバーハナ朝,8~10世紀のラーシュトラクータ朝,12~14世紀のカーカティーヤ朝,14~16世紀のバフマニー朝などは,いずれもここを根拠地とした。16世紀初めにポルトガル人が渡来し,1661年にはイギリスがボンベイを領有するにいたった。17世紀後半にマラーターの英雄シバージーが出現し,19世紀初めまでムガル帝国およびイギリスに対抗したマラーター同盟の基礎を築いた。1819年,第3次マラーター戦争の敗北後イギリス領となったが,東部地域はハイダラーバード藩王国領として残された。1947年のインド独立とともにボンベイ州となり,56年の言語州再編により当時のハイダラーバード,マディヤ・プラデーシュ両州からマラーティー語(州の公用語)地域を編入し,またカンナダ語地域をカルナータカ州に割譲した。さらに60年にはグジャラート州を分離して現在の州となった。
地形的には,州の西縁部を南北に走る西ガーツ山脈を境にして,その西麓のコンカン海岸平野と東麓から広がるデカン高原とに分かれる。海岸平野は幅30~50kmの南北に狭長な平野で,年降水量2500mm以上の多雨地帯である。降水の大部分は6月初め~9月末の南西モンスーンによりもたらされ,農業は米作を主とする。西ガーツ山脈は標高1000m前後で,西には急峻であるが東にはゆるやかな傾動性山地をなす。デカン高原部は,州の東辺部と南辺部を除くと,中生代の白亜紀末から新生代の第三紀始新世初めに噴流した玄武岩を基盤とし,その厚さは所によっては2500mに及ぶ。浸食作用の結果,さまざまな高度のメーサ地帯と,東流する諸河川の広い河谷とが交互する地形を示す。東辺部を除いてデカン高原部は半乾燥気候で,モロコシ,トウジンビエ,小麦,ラッカセイ,綿などの畑作農業を中心とする。とりわけ玄武岩の風化土である肥沃なレグール(黒綿土)は綿の栽培に適するため,インド綿の主産地でもあり,綿はムンバイーより輸出される。鉱産資源は,玄武岩に覆われていないためにより古い岩層が露出している北東辺部と南辺部とに偏在している。北東辺部は石炭,マンガン,クロム鉄鉱などを,南辺部はボーキサイトを産する。ムンバイー沖の大陸棚では原油が採掘される。工業は,コルカタ(旧カルカッタ)とならぶインドの代表的な産業都市ムンバイーとその周辺に集中し,綿業,食品などの軽工業から石油化学,造船,機械などの重化学工業までを含む。デカン高原部では,プネーとナーグプルが主要な工業都市で,各種工業が立地する。また,紡績業が綿花産地に所在する諸都市に立地する。
執筆者:応地 利明
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報