改訂新版 世界大百科事典 「マリーアントアネット」の意味・わかりやすい解説
マリー・アントアネット
Marie-Antoinette
生没年:1755-93
フランス国王ルイ16世の王妃。オーストリアの女帝マリア・テレジアの娘としてウィーンに生まれ,1770年にフランスの王太子(1774年に即位してルイ16世となる)と結婚した。美貌と才知に恵まれた彼女は,善良だが才気に乏しい夫王にあきたらず,いくつものスキャンダルをおこして国民の信頼を失った。フランス革命が始まると,態度を決めかねていた夫王を促して革命に反対するようにしむけ,宮廷における反革命の陰謀の中心になった。とくに,91年6月,実家オーストリアの皇帝と通謀して,フランス国王一家の国外逃亡をはかって失敗するというバレンヌVarennes事件をおこし,王家に対する国民の不信を決定的なものにした。92年8月に王政が廃止されたのちは,夫王や子どもたちとともに捕らえられ,夫王が処刑されたのち,彼女もまた裁判にかけられて,93年10月に断頭台で処刑された。その運命は悲劇的であるが,嫁して夫を軽んじ,王妃でありながら国民を裏切った彼女にとって,それはむしろ当然の報いであったといえよう。
執筆者:遅塚 忠躬
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報