マルケス
没年:寛永20.2.6(1643.3.25)
生年:慶長13(1608)
葡日混血イエズス会司祭。ポルトガル人ヴィセンテ・マルケスと大友宗麟の一門の日本人サビナを母として,長崎に生まれる。早くに孤児となり,弟のペドロ・マルケスと共にマカオに送られる。1631年ごろイエズス会入会。1640(寛永17)年,巡察師ルビノらと転びバテレンの沢野フェレイラを回心させようと日本潜入を試みるが,コーチシナ(インドシナ半島南東岸)に漂着。日本回航を待っていたセブ島で司祭となる。寛永19年ルビノ第1隊として来日,だが薩摩国(鹿児島県)下甑島到着後ただちに捕らえられ,長崎に護送される。頭髪の半分を剃られて赤く塗られ,口に鉄板をはさまれ駄馬に乗せられ見せ物にされる。9日間穴吊しにされ,斬首によって殉教。<参考文献>レオン・パジェス『日本切支丹宗門史』下
マルケス
没年:明暦3.5.1(1657.6.12)
生年:1575
イエズス会司祭,日本管区長。ポルトガル・エボラ大司教区モーラン生まれ。1592年イエズス会入会。慶長14(1609)年来日。同19年大禁教令によりマカオに追放される。カンボジア,マカオ,トンキン,海南島で布教。ルビノ第2隊の長として,5人の宣教師と5人の従者と共に寛永20(1643)年筑前国(福岡県)大島に上陸。ただちに捕らえられ長崎送りとなる。その後,江戸小日向の宗門改役井上筑後守政重の下屋敷(切支丹屋敷)で拷問を受け,「南蛮伴天連念仏ヲ申シ,コロビ候義実正ナリ」との誓詞を差し出し背教。<参考文献>姉崎正治『切支丹伝道の興廃』
マルケス
没年:1670頃(1670頃)
生年:慶長17(1612)
葡日混血イエズス会司祭。長崎に生まれる。早く孤児となり,兄フランシスコ・マルケスと共にマカオに送られる。1631年ごろイエズス会に入会。インド,マカオ,コーチシナ(インドシナ半島南東岸)の布教に当たる。1670年マカオからコーチシナに向かって出帆した後消息を断ち,遭難死したものと思われる。1673年度のイエズス会名簿からは除外されている。<参考文献>J.F.Schu¨tte 《Textus Catalogorum Japoniae 1553‐1654》
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報
マルケス Marques, Francisco
1608-1643 江戸時代前期の宣教師。
慶長13年ポルトガル人を父に日本人を母として肥前長崎に生まれる。両親の死後,弟ペドロ=マルケスとともにマカオにおくられ,イエズス会にはいり司祭となる。寛永19年薩摩(さつま)(鹿児島県)下甑(しもこしき)島に到着したが捕らえられ,長崎におくられる。穴吊(つ)るしの刑ののち,寛永20年2月6日斬首(ざんしゅ)された。36歳。
マルケス Marques, Pedro
1612-? 江戸時代前期の宣教師。
フランシスコ=マルケスの弟。慶長17年ポルトガル人を父に日本人を母として肥前長崎に生まれる。兄とともにマカオにおくられ,1631年ごろイエズス会に入会。寛永20年平戸にきている。インド,マカオ,コーチシナで布教。1670年マカオからコーチシナへの航海の途中で消息をたった。
マルケス Marques, Pedro
1575-1657 ポルトガルの宣教師。
イエズス会司祭,日本管区長。慶長14年(1609)長崎につく。19年マカオに追放されたが,寛永20年日本に再潜入しようとして捕らえられ,下総(しもうさ)高岡藩主で宗門改役井上政重(まさしげ)の尋問をうけて棄教した。明暦3年5月1日江戸で病死。82歳。
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マルケス
Márquez, José Ignaco de
[生]1793
[没]1881
コロンビアの法律家,政治家。ヌエバグラナダ共和国 (現コロンビア,パナマ) 大統領 (在任 1837~42) 。 1830年分離独立したベネズエラ,エクアドルと外債分担の協定を結び信用回復に努力。政権の後半は多発する内乱に苦しんだ。
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世界大百科事典(旧版)内のマルケスの言及
【爵位】より
…公と伯の中間に位置する侯は,もともとフランク王国時代に,異民族との辺境地域の統治をゆだねられた[辺境伯](ドイツ語はマルクグラーフMarkgraf)に由来し,その軍事的重要性のゆえに,しばしば公の名を帯びたが,のちにはこうした歴史的起源とは無関係な,封建貴族の称号となる。スペインやポルトガルでは,14~15世紀以降,有力貴族にこの称号(マルケスmarqés)がさかんに与えられた。一般に,封建王制が確立する中世盛期以後,これらの爵位は国王が授与し,称号に表現される栄誉の配分を通じて政治秩序の組織化に役だてられたが,それ以前には,軍事的・政治的な実力にもとづいて各地の豪族がみずからそれ相応の称号をおびることが多かった。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」