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マレンコフ マレンコフ Malenkov, Georgi Maksimilianovich

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

マレンコフ
マレンコフ
Malenkov, Georgi Maksimilianovich

[生]1902.1.8. オレンブルク
[没]1988.1. モスクワ
ソ連の政治家。革命後志願して赤軍に入隊,1920年共産党に加入。 21~25年モスクワ高等工業学校に学び,卒業と同時に党中央委員会付きのポストに任命された。のち I.スターリン個人の秘書局員となり,32年その責任者となった。

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デジタル大辞泉の解説

マレンコフ(Georgiy Maksimilianovich Malenkov)

[1902~1988]ソ連の政治家。1953年スターリンの死後、首相・党書記長となり、55年辞任。フルシチョフの追放を策して57年失脚。

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百科事典マイペディアの解説

マレンコフ

ソ連の政治家。赤軍政治委員,ソ連共産党中央組織要職を歴任。1939年党中央委員,書記,人事局長,第2次大戦中は国家防衛委員会委員。1946年党政治局員,1947年副首相となり,スターリンの後継者と目された。
→関連項目ブルガーニンフルシチョフベリヤポドゴルヌイ

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世界大百科事典 第2版の解説

マレンコフ【Georgii Maksimilianovich Malenkov】

1902‐88
ソ連邦の政治家,元首相。1920年に共産党に入党,党官僚として,とくに20年代後半はスターリンの秘書役を務める。30年代にはモスクワ党委員会で働き,34年からは中央委員会で党官僚機構の責任者として人事,幹部政策を行う。その間エジョフらの大粛清にも荷担し,39年に党書記,41年に政治局員候補に昇進,とくに党組織の指導にあたる。第2次大戦後政治局員,52年の第19回党大会ではスターリンに代わって中央委員会報告を行い,ベリヤとともに有力な後継者となり,スターリン死後の53年首相となる。

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大辞林 第三版の解説

マレンコフ【Georgii Maksimilianovich Malenkov】

1902~1988) ソ連の政治家。1953年スターリン死後、首相兼党第一書記。フルシチョフと対立し、57年失脚。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

マレンコフ
まれんこふ
Георгий Максимилианович Маленков Georgiy Maksimilianovich Malenkov
(1902―1988)

ソ連の政治家。1月8日にロシアオレンブルグの勤労者の家庭に生まれ、1920年に共産党に入る。1925年にモスクワ高等技術学校卒業後、党中央委員会に勤務。党モスクワ委員会での仕事を経て1934年に党中央委指導党機関部長となる。1939年に党中央委員に選出され、書記兼組織局員兼人事部長となる。1941年2月には政治局員候補となり、同年6月の独ソ戦勃発(ぼっぱつ)後は国家防衛委員会委員として活躍。戦後、1946年に政治局員に昇進し、党中央委書記とソ連閣僚会議副議長(副首相)をも兼ねる。1952年10月の第19回党大会では中央委員会の活動報告を行い、1953年3月5日のスターリンの死の翌日に筆頭書記兼首相となる。しかし、同月14日には筆頭書記の地位を失い、1955年には首相も辞任。一時、副首相兼発電所相を務めたが、1957年6月にフルシチョフ党第一書記の追放を策して失敗し、逆に反党分子として批判され失脚。カザフスタンの水力発電所長を務めたあと、1968年に引退し、モスクワで年金生活を送った。[中西 治]

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世界大百科事典内のマレンコフの言及

【ソビエト連邦】より

…独裁者の死はソ連史に大きな変化を呼び起こすこととなった。ユダヤ人医師団事件はでっちあげであったと発表されたあと,今度はそれを明らかにしたスターリンの内相ベリヤが打倒され,次いでスターリンの指名した後継者マレンコフ首相が失脚した。党の実権を握ったのは,内戦時に入党した出稼ぎ農民の子フルシチョフであった。…

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