マーフィー(読み)まーふぃー(英語表記)William Parry Murphy

日本大百科全書(ニッポニカ) 「マーフィー」の意味・わかりやすい解説

マーフィー
まーふぃー
William Parry Murphy
(1892―1987)

アメリカの内科医、血液病学者。牧師の子として、ウィスコンシン州に生まれる。オレゴン州立大学で学位を得たあと、医学を志し、ハーバード大学入学、1920年に卒業して医師となった。一時開業したが、1924年にハーバード大学医学部の内科助手となり、1948年に講師。早くから血液疾患や膵性(すいせい)糖尿の研究に興味をもっていたが、当時ロチェスター大学病理学教授のホイップルの研究で、二次性貧血イヌ肝臓食で著しい改善を示した報告を知り、マーフィーの師マイノットとともに、悪性貧血、低色素性貧血、顆粒(かりゅう)球減少症などの患者の治療に、生(なま)の肝臓投与や肝臓エキスの筋肉注射を施し、その結果好成績をあげた。1926年マイノットと「特別食による貧血療法」を共同発表し、その後も血液疾患の研究を続けた。1934年には、ホイップル、マイノットとともにノーベル医学生理学賞を受け、続いて内外の多くの賞を受けている。

古川 明]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「マーフィー」の意味・わかりやすい解説

マーフィー
Murphy, William Parry

[生]1892.2.6. ウィスコンシン,ストートン
[没]1987.10.
アメリカの医師。 1914年オレゴン大学を卒業後,高等学校で物理数学を教えていたが,17年ハーバード大学医学部に入学。 20年に医学博士となる。 23年ブルックリンで開業。 24年ハーバード大学で助手,28年,講師となる。 26年 G.マイノットと協同して,悪性貧血の治療用にウシの肝臓を主とした食餌療法を考案し,肝エキス治療法にいたる食餌療法の道を開き,致命的な病気から患者を救うことに成功,この「悪性貧血の肝臓食療法」で,マイノットおよび G.ホイップルとともに,34年のノーベル生理学・医学賞を受けた。主著『貧血の臨床』 Anemia in Practice (1939) 。

マーフィー
Murphy, Frank

[生]1890.4.13. ミシガン,ハーバービーチ
[没]1949.7.19. ミシガン,デトロイト
アメリカの政治家,法律家。 1923年デトロイト地方裁判所判事を振出しに,30~33年デトロイト市長,33年 F.ルーズベルト大統領の任命によりフィリピン総督,35年高等弁務官,36年帰国してミシガン州知事を歴任した。州知事としては 37年の自動車工場のすわりこみストライキに対する軍隊の出動を拒否して財界の反発を買った。 39年法務長官。 40年連邦最高裁判所判事となり,公民権の擁護に尽力した。特に 44年コレマツ対合衆国事件の判決において,連邦政府による太平洋岸地方の日系アメリカ人住民の強制収容に対して,これを「人種主義の合法化」であるとして非難した少数意見を述べた。

マーフィー
Murphy, Arthur

[生]1727.12.27. ロスコモン
[没]1805.6.18. ナイツブリッジ
アイルランド生れのイギリスの俳優,劇作家。俳優を引退してから劇作を始め,『結婚3週間後』 Three Weeks after Marriage (1776) などの作がある。風習喜劇の伝統の復活に貢献した。

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百科事典マイペディア 「マーフィー」の意味・わかりやすい解説

マーフィー

米国の医学者。ハーバード大学で研究したのち,ボストンで医院を開業。マイノットと協同して悪性貧血の治療に肝臓を主とした食事療法を提案。1934年ノーベル生理医学賞。
→関連項目ホイップル

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