翻訳|Mississippi
アメリカ合衆国南部の州。略称Miss.。連邦加入1817年,20番目。面積12万1488km2,人口296万7297(2010)。州都および最大都市ジャクソン。州名はチペワ・インディアン語で〈大きな川〉を意味する。北東部にアパラチア山脈南西麓の丘陵,台地があるほかは,ミシシッピ川下流域の沖積平野(三角州など)とメキシコ湾岸のコースタル・プレーン(海岸平野)が大部分を占め,低平である。気候は湿潤温暖気候で,とくに海岸部の夏は蒸し暑い。綿花栽培は19世紀初頭からミシシッピを代表する産業となったが,現在,綿花栽培の中心は西部に移り,生産高では南部各州のうちでは1位だが,全米4位になった。農産物では大豆が最も重要であり,トウモロコシ,米,サトウキビ,サツマイモも栽培されている。クルミの一種のペカンの産地としても知られる。メキシコ湾のエビ,カキの漁獲のほか内陸部ではナマズの養殖が盛んである。松,カシなどの林産も多く,南部の林業地帯の一部となっている。石油,天然ガス田にも恵まれる。最近は工業化も進展して,繊維,機械,製材,家具などが中心である。しかし州民1人当りの国民所得は,依然各州中最低である。1540年,スペイン人探検家デ・ソトが訪れ,翌年ミシシッピ川に到達した。1682年,フランス人R.C.deラ・サールは,イリノイ方面から船でミシシッピ河口まで下り,ミシシッピ川流域の広大な土地をフランス領と宣言した。99年にフランス人が入植したが,1763年にイギリスへ割譲された。黒人人口は88.7万人に達し,州人口の35%を占め,その比率は全米1位である(1980)。1950年代から公民権運動の前進とともに,人種対立が激化してしばしば流血の事態を招いた。
執筆者:正井 泰夫
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アメリカ合衆国南部の州。面積12万3584平方キロメートル、人口284万4658(2000国勢調査速報値)。北はテネシー州、東はアラバマ州、南はルイジアナ州、西はミシシッピ川を隔ててルイジアナ州とアーカンソー州に接する。州都ジャクソン。一般に低平な土地で、最高地点も北東部のウッダール山(246メートル)にすぎない。ミシシッピ川とヤズー川との間は肥沃(ひよく)な沖積地で、その東側は松林に覆われた台地状の土地である。気候は南半部では亜熱帯性で、北半部では温帯性である。州のほぼ中央部に位置する州都ジャクソンの年降水量は1270ミリメートル、平均気温は1月で8.3℃、7月で27.8℃である。低平な土地を利用しての農業が州の経済活動の中心であり、19世紀から主要農作物は綿花であった。綿花畑の面積は、地力の衰えやワタノハナゾウムシの被害によって減少したが、農業の多角化によって大豆、トウモロコシ、イネの栽培も多くなり、さらに畜産業も発達し、肉牛、乳牛の頭数も増加してきた。1930年代からは石油と天然ガスが採掘され、その後、テネシー川流域開発公社(TVA)や州の工場誘致政策によって工業も急速に発展してきた。近年、衣服、木工製品、食品、化学製品などの工業製品出荷額が農産物出荷額を上回るようになった。農業と工業の近代化にもかかわらず、州の1人当りの平均所得は全米で最低である。
1541年にスペイン人のデ・ソトがこの地域を探検したが、1682年にフランスが領有を主張し、99年オーシャン・スプリングに最初のフランス人植民地が建設された。その後、開拓地が北と西に拡大し、フランスの植民地であるルイジアナの一部となった。1763年のパリ条約でイギリス領となり、イギリス人植民者たちが多数入植した。独立戦争のころ一時スペイン領となったが、1798年には正式に合衆国領のミシシッピ準州となり、1817年に合衆国20番目の州となった。黒人人口率が州では最高の36.3%である。
[菅野峰明]
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