1944年10月下旬、日本占領下にあったフィリピン・レイテ島に上陸した米国などの連合軍と、旧日本海軍の連合艦隊が激戦を展開。空母4隻、武蔵などの主力艦多数を失い、連合艦隊は事実上壊滅した。神風特別攻撃隊が初めて出撃し、爆弾を積んだ航空機ごと米艦船に体当たりして自爆した。(カティクラン共同)
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太平洋戦争末期、1944年(昭和19)10月23~26日、フィリピン周辺において行われた日米海戦。同年10月18日、多数の米輸送船団がフィリピン、ルソン島のレイテ湾に進入、米軍の本格的上陸が予想されたため、大本営は決戦計画「捷(しょう)1号作戦」(フィリピン方面決戦)の発動を決定した。これに基づき、小沢治三郎中将の指揮する機動部隊(空母四隻を基幹)は米機動部隊の牽制(けんせい)を目的としてルソン島東方海域に進出し米軍と交戦、さらに栗田(くりた)部隊〔指揮官栗田健男(たけお)中将、戦艦五隻を基幹〕、西村部隊〔指揮官西村祥治(しょうじ)中将、戦艦二隻を基幹〕、志摩部隊〔指揮官志摩清英(きよひで)中将、重巡二隻を基幹〕が三方面からレイテへの突入を図ったが、米軍の反撃に直面して作戦は失敗に終わった。この一連の戦闘で、米軍の損害は小型空母三隻、その他三隻沈没にとどまったのに対し、日本側は武蔵(むさし)を含む戦艦三隻、空母四隻、その他の艦艇多数が沈没し、人員約1万を失い、連合艦隊は事実上、壊滅した。
[吉田 裕]
『吉田俊雄・半藤一利著『レイテ沖海戦』上下(1984・朝日ソノラマ)』
太平洋戦争でアメリカ軍のフィリピン奪回作戦にともない,1944年(昭和19)10月23~26日に同島周辺で展開された日米の海空戦。正式名称は日本でフィリピン沖海戦,アメリカでレイテ湾海戦。米軍のレイテ島上陸にともない日本海軍は全兵力で出撃,水上部隊を敵上陸地点に突入させて上陸企図を挫折させようとしたが,成功しなかった。日本は武蔵など大型軍艦の大半を撃破され,組織的な作戦能力を失った。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
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