ミヤスコフスキー

百科事典マイペディア 「ミヤスコフスキー」の意味・わかりやすい解説

ミヤスコフスキー

ロシア(ソ連)の作曲家,教育者。ミャスコフスキーとも。ペテルブルグ音楽院リャードフリムスキー・コルサコフに学び,プロコフィエフ親交を結ぶ。1921年モスクワ音楽院作曲科教授に就任。終生その地位にあって,モソロフ,ハチャトゥリヤンカバレフスキーらを教えた。27曲の交響曲(1908年−1949年)をはじめとする管弦楽曲や協奏曲,13曲の弦楽四重奏曲(1930年−1949年)などの室内楽曲,9曲のソナタ(1909年−1949年)などのピアノ曲,歌曲などがある。作品はソビエト当局が強いた〈社会主義リアリズム〉路線の枠組みを越えた才気と高度な作曲技巧を示し,プロコフィエフやショスタコービチにも少なからぬ影響を与えた。今後の再評価が待たれる作曲家の一人。

出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報

改訂新版 世界大百科事典 「ミヤスコフスキー」の意味・わかりやすい解説

ミヤスコフスキー
Nikolai Yakovlevich Myaskovskii
生没年:1881-1950

ソ連邦の作曲家,教育者。チャイコフスキーの伝統の上に新しい交響曲の創造を目ざした作曲家として知られる。ペテルブルグ音楽院で学ぶ。第1次大戦に従軍。1921年モスクワ音楽院作曲科教授となり終生その地位にあった。革命の精神を表した《交響曲第6番》(1923),十月革命15周年記念のための《交響曲第12番コルホーズ》(1932),構築性と抒情的歌謡性を融合させた《交響曲第21番交響的幻想》(1940。スターリン賞),カフカス地方の民謡研究を結実させた《交響曲第23番》(1941),《チェロ協奏曲》(1944。スターリン賞)などを発表,46年には〈人民芸術家〉の称号を受けた。48年ジダーノフ批判で形式主義を問われたが,最後の交響曲《第27番》(1949)で深い抒情と壮大さを旋律に託し,これにこたえた。作品にはほかに室内楽,ピアノ曲,合唱曲,歌曲などがある。
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

今日のキーワード

焦土作戦

敵対的買収に対する防衛策のひとつ。買収対象となった企業が、重要な資産や事業部門を手放し、買収者にとっての成果を事前に減じ、魅力を失わせる方法である。侵入してきた外敵に武器や食料を与えないように、事前に...

焦土作戦の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android