ソ連邦の作曲家。ペテルブルグの数学者の家に生まれたが,幼時から詩,絵画,音楽など芸術の才能を示した。一家は1918年モスクワに移り,彼はスクリャービン音楽中学校,モスクワ音楽院で作曲とピアノを学ぶ。32年同音楽院の教職につき,39年教授。学生時代から社会活動に積極的に加わり,社会主義革命後のソ連にふさわしい音楽の創造に献身した。40年共産党に入党,63年ソ連邦人民芸術家。初期の作品ではミヤスコフスキーの影響が明白であるが,のち19世紀のロシア音楽との関連をもつ作風を確立する。作風は劇的というより明るい抒情性にとみ,舞踊的リズム,歌謡的な旋律を特徴とする。オペラ,歌曲,カンタータなど声楽的ジャンル,交響曲,協奏曲,ピアノ曲など器楽的ジャンルそれぞれに多くの作品がある。青少年の音楽教育に若いときから熱意をもち,子どものためのピアノ曲など,教育用の作品も多い。管弦楽組曲《道化師》(1946),ピアノ曲では二つのソナチネ(1932,34),子どものための小品集(1938)など,日本でもよく知られている。
執筆者:森田 稔
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ソ連の作曲家。スクリャービン音楽学校を経て、モスクワ音楽院でピアノと作曲を学ぶ。作曲の師ミャスコフスキーの影響を受けた作品ののち、プロレタリア芸術の賛歌ともいうべき『戦いの詩』(1930)を発表、社会主義リアリズムに沿った作品を次々に作曲して大きな成功を収めた。早くから旺盛(おうせい)な評論活動を行い、ソ連の音楽行政上の要職を歴任。1932年以来モスクワ音楽院で教鞭(きょうべん)をとるほか、国際的に演奏旅行するなど幅広く活躍。明るく叙情的で平易な作風をみせ、『コラ・ブルニョン』(1937初演)、『タラスの一家』(1947初演)などのオペラ、交響曲4曲、管弦楽組曲『道化師』(1940)や、協奏曲、付随音楽、オラトリオなど多数がある。
[益山典子]
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