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ミラノ派 ミラノはScuola Milanese

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

ミラノ派
ミラノは
Scuola Milanese

北イタリア,ミラノを中心に 15世紀末~16世紀前半に栄えた画派。 15世紀中頃,V.フォッパが現れて,パドバ派の影響に加えて,ミラノを訪れたブラマンテらの影響を受けて,装飾的で重厚な画風を示した。 1482年レオナルド・ダ・ビンチがミラノに移って活躍して以来その影響を受け,さらに 1506年から 12年に再度レオナルドが滞在してその影響を深め,ミラノ派の画風は大きく転換した。代表的な画家に,チェザーレ・ダ・セスト,A.ソラーリをはじめとして,ポルトラッフィオ,A.プレディス,B.ルイーニらがあげられるが,いずれもレオナルドからの影響が強い。しかしその画風は,レオナルドの表面的な技法の模倣から一歩も出ることなく,精神的深さに欠けていた。わずかにルイーニのみが,20年頃からレオナルドの影響を脱し,独自の典雅様式を発展させた。

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百科事典マイペディアの解説

ミラノ派【ミラノは】

ミラノを中心として15世紀末―16世紀前半に栄えたイタリアの画派。この地方では,初め装飾的で重厚な絵画が主流であったが,1500年前後にレオナルド・ダ・ビンチがミラノで活動するに及んで,その影響を受けた絵画が盛んになった。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

ミラノ派
みらのは
scuola milanese

北イタリアのミラノを中心に、15世紀の末から16世紀前半にかけておこった画派。初めパドバ派の流れをくんだフォッパVincenzo Foppa(1427/30―1515/16)らが現れ、ロンバルディア地方特有の装飾性を加味した重厚な作風を形成していた。その後、スフォルツァ家が勢力を誇っていたころ、ブラマンテやレオナルド・ダ・ビンチらがこの都市を訪れ、絵画に大きな影響を与えた。ことに、最初の1482年以来の長い移住に続いて1506年から12年まで再度ミラノに滞在したレオナルドの影響は大きく、その明暗法、スフマート技法、構図法などは、ミラノの画風に著しい変革をもたらすとともに、多くの追随者を生んだ。代表的画家に、アンブロジオ・ダ・プレディスAmbrogio da Predis(1450/55―1505)、ソラリオAndrea Solario(1465―1515)、ボルトラッフィオGiovanni Antonio Bortraffio(1466―1516)、チェザーレ・ダ・セストCesare da Sesto(1477―1523)、ベルナルディーノ・ルイーニ、メルチFrancesco Melzi(1493―1570)らがいる。彼らはレオナルドの画風を模倣したとはいえ、師の精神的偉大さを欠いていた。そのなかでルイーニだけがレオナルドの影響から抜け出して、独特の典雅な様式を発展させた。[上平 貢]

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