ドイツの社会主義者、歴史家、文芸理論家。元将校の収税吏の子としてポンメルンのシュラーベに生まれる。ライプツィヒ、ベルリン両大学で言語学を学び、民主主義的なジャーナリストとして活動したのち、1891年ドイツ社会民主党に入党。党機関誌『ノイエ・ツァイト』(新時代)の執筆者となり、1892年同誌に連載した『レッシング伝説』によって理論家としての地位を確立した。1902~1907年『ライプツィヒ民衆新聞』の編集長として修正主義を激しく攻撃し、第一次世界大戦中もローザ・ルクセンブルクらと協力して反戦運動を継続。『インテルナチオナーレ』誌の発行、スパルタクス団の結成に重要な役割を果たし、大戦後にはドイツ共産党の創立に加わった。しかし1919年1月、病臥(びょうが)中にルクセンブルク、カール・リープクネヒト虐殺の報を受け、その落胆もあって同月28日死去した。『ドイツ社会民主主義史』は代表的著作。
[松 俊夫]
『足利末男他訳『ドイツ社会民主主義史』上下(1968、1969・ミネルヴァ書房)』
ドイツの詩人、劇作家。ベルリン生まれ。表現主義から出発し、第一次世界大戦後はベルリン・ダダ運動の闘士として、ラジカルな左翼系の「政治キャバレー」を開く。『異端者の祈祷(きとう)』(1921)、戯曲『ベルリンの商人』(1929)など、風刺的なシャンソンや脚本で、ドイツの右傾化、インフレの世相、市民的モラルを痛罵(つうば)した。ナチスの手を逃れ、フランス、のちアメリカに亡命。戦後はスイスに住みながら、回想録スタイルの文芸論『失われた文庫』(1952)、『呪(のろ)われた絵画』(1958)を著した。
[幅 健志]
『野村太郎訳『呪われた絵画』(1962・美術出版社)』
ワイマール時代のベルリンの代表的なキャバレー(文芸寄席)のシャンソン作家。ゲオルゲ・グロスの素描に触発されてダダイストとなり,第1次大戦後に新発足したキャバレー〈シャル・ウント・ラウホSchall und Rauch〉の演目のために,軽快なジャズ・テンポのシャンソンを作詞して,新時代の痛烈なダダ・ソングの旗手となった。以後〈ウィルデ・ビューネWilde Bühne〉や〈グレーセンワーンGrössenwahn〉など代表的なベルリンのキャバレーのために《ベルリン同時性》《船乗りのコラール》等のヒット作を書いたが,しだいに政治的風刺性・攻撃性を強め,《鉤十字の歌》やE.トラーの《どっこい生きてる》(1927)のための劇中ソングを作り,ピスカートルの左翼演劇《ベルリンの商人》(1929)の台本を書いた。ユダヤ人としてナチス時代には亡命を余儀なくされ,ほとんど忘れ去られたが,グロスの素描のような時代風刺の鋭さが近年再評価されて復活した。
執筆者:平井 正
ドイツのマルクス主義文筆家。大学卒業後,ブルジョア左派のジャーナリストとして活動。社会主義者鎮圧法の時期に意見を変え,1891年,ドイツ社会民主党に入党,《マルクス,エンゲルス,ラサール遺稿集》(1902)の編集に当たり,名著《社会民主主義の歴史》4巻(第2版1903-04)を書いた。党内では左派の論客として活躍,カウツキーの《ノイエ・ツァイトDie Neue Zeit》に協力,《ライプチヒ民衆新聞》の編集を行った。第1次世界大戦中は,スパルタクス・グループに属した。《レッシング伝説》(1893),《ドイツ史》(1910-11),《マルクス伝》(1918)など文芸・歴史に関する著書も多い。
執筆者:西川 正雄
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1846~1919
ドイツの社会主義者。1891年社会民主党に入党,機関誌の編集にあたった。党左派に属し,スパルタクス団および共産党の設立に参加した。『ドイツ社会民主主義史』全4巻(97~98年)のほか,文学,哲学,歴史関係の著作多数。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
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