ギリシア出身で,1882年以降パリで活躍した詩人。アテネ生れ。詩集《流砂》(1884)で詩壇に登場した彼は,まもなくデカダンの喧噪を後にマラルメに接近,86年いわゆる〈サンボリスム宣言〉を発表して象徴主義の命名者となり,詩集《カンティレーヌ》を世に問うたが,以後R.ギルの〈器楽編成派〉との間に論争をおこし,またやがて自由詩を去って古典復帰を志向した。91年〈ロマーヌ派école romane〉の樹立を宣言,中世フランス文学に芸術の源泉を求むべきことを唱え,またロンサールとプレイヤード派,マレルブの詩風をとり入れた。詩集《恋の巡礼》(1891)などを経たのち,《スタンス集》(1899-1901)にいたって彼本来の詩的資質が最もよく発揮された。
執筆者:松室 三郎
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…
[文学]
〈象徴主義(サンボリスム)〉という語が文学用語として広く使用されるようになったのは,1880年代のフランスにおいてである。とりわけ,86年9月8日の《フィガロ》紙に,モレアスが〈文学的宣言〉と題する文章を発表し,〈芸術における創造精神の現下の傾向を妥当に示すことのできる唯一のものとして,我々は〈象徴主義〉という名称をすでに提唱してきた〉と書いたのが,この用語を定着させる大きなきっかけになった。当時,ベルレーヌを敬愛する若い詩人たちによって,〈デカダン〉と名のるグループが結成される動きもあった。…
※「モレアス」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
10/29 小学館の図鑑NEO[新版]動物を追加
10/22 デジタル大辞泉を更新
10/22 デジタル大辞泉プラスを更新
10/1 共同通信ニュース用語解説を追加
9/20 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新