アメリカのジャズ・ギター奏者。本名ジョン・レスリー・モンゴメリーJohn Leslie Montgomery。インディアナポリスに生まれ、幼児期にオハイオ州コロンバスに移住。兄モンク・モンゴメリーMonk Montgomery(1921―1982)は後にベース奏者、弟バディ・モンゴメリーBuddy Montgomery(1930―2009)はピアノ奏者となる音楽一家の出身。兄に4弦ギターを買ってもらい、独学で12歳のころには一人前の技術を身につける。
1940年ころモンゴメリー兄弟はインディアナポリスに戻り音楽の仕事につく。このころウェスはギター奏者チャーリー・クリスチャンのレコードを聴いて感激し、彼の演奏をコピー、地元の「440クラブ」などに出演し、クリスチャンのソロを再現してみせる。この時期、昼間は牛乳工場に勤め、夜ジャズ・クラブに出演するという生活を送る。1948年、ビブラホーン奏者ライオネル・ハンプトンの楽団に参加、ツアーに出るが、飛行機ぎらいで移動は自分で自動車を運転するなどしたため無理がたたり、1950年ハンプトン楽団を辞し故郷に戻る。しばらく音楽から離れていたが、やがて昼間ラジオ工場で働き、夜はジャム・セッションに参加するという多忙な生活をふたたび始める。1955年、モンク、ウェス、バディの三兄弟によるバンドを結成、地元で評判をよぶ。
1958年、評論家でもある音楽家ガンサー・シュラーGunther Schuller(1925―2015)が『ジャズ・レビュー』Jazz Review誌にウェスを絶賛した紹介記事を発表。1959年、ウェスの演奏を聴いたアルト・サックス奏者キャノンボール・アダレイの口利きで、リバーサイド・レーベルの専属ミュージシャンとなりニューヨークに進出、初リーダー作『ウェス・モンゴメリー・トリオ』を録音。翌1960年、リーダー作として吹き込んだ『インクレディブル・ジャズ・ギター』が『ダウン・ビート』Down Beat誌の最高点五つ星を獲得、彼の評価は決定的なものとなる。前2作を吹き込んだ後、インディアナポリスに戻り三兄弟による新たなバンド、モンゴメリー・ブラザーズを結成、ようやく音楽だけで生計をたてられるようになる。同年『ダウン・ビート』誌批評家投票の新人賞、『ビルボード』Billboard誌の「もっとも期待されるジャズ・ミュージシャン」に選ばれる。
1961年モンテレー・ジャズ・フェスティバルでテナー・サックス奏者ジョン・コルトレーンと共演、グループへの参加を誘われるが、これは実現しなかった。1962年モンゴメリー・ブラザーズの活動は停止するが、ウェスは代表作『フル・ハウス』を、テナー・サックス奏者ジョニー・グリフィン、ピアノ奏者ウィントン・ケリーを共演者に迎えて吹き込む。1964年バーブ・レーベルに移籍、ヨーロッパツアーを行い、ヨーロッパのギター奏者に大きな影響を与える。翌1965年『フル・ハウス』で共演したケリーと傑作アルバム『ハーフ・ノートのウェス・モンゴメリーとウィントン・ケリー・トリオ』を録音するが、プロデューサー、クリード・テーラーCreed Taylor(1929―2022)の意向により、しだいにポピュラー・チューンをほとんどアドリブなしで演奏する「イージー・リスニング路線」へと転向を余儀なくされる。
1967年、A&Mレコードにプロデューサーとして迎えられたテーラーはCTIシリーズを発足させ、第一弾としてモンゴメリーのアルバム『ア・デイ・イン・ザ・ライフ』を制作。ジャズとしては記録的な売り上げを記録し、『ビルボード』誌ジャズ・チャートで32週トップの記録を樹立、ゴールド・ディスクに認定される。翌1968年、45歳で心臓麻痺(まひ)のため死亡。彼のギター奏法はピックを使わず親指の腹で弦を弾くユニークなもので、そのためまろやかで厚みのある音色が得られる。また、1オクターブ離れた音を同時に演奏する「オクターブ奏法」を開発するなどオリジナルな奏法を切り開き、ジャズ・ギター奏者に与えた影響は絶大なものがある。彼は即興演奏家として圧倒的な才能を発揮し、批評家、ミュージシャンたちからは高い評価を得たが、経済的にはさほど恵まれず、ほとんど即興を放棄した1960年代後期のアルバムが大衆的人気を博した事実は、ジャズという音楽のもつ特殊な性格を如実に示している。
[後藤雅洋]
イギリスの軍人。陸軍士官学校を卒業後、インド勤務を経て第一次世界大戦に従軍。1938年にはパレスチナ師団長となって、アラブの反乱で動揺するイギリスの支配力の立て直しを図った。第二次世界大戦中の1942年、第8軍司令官として、ロンメルの率いる強力な独伊軍をエル・アラメインの戦いで破り、北アフリカでの戦況を連合国側に有利に転換させて名声を博した。1944年6月のノルマンディー上陸作戦ではイギリス軍総司令官として指揮をとり、戦後は1946年に参謀総長に就任、1951~1958年北大西洋条約機構(NATO(ナトー))軍副最高司令官を務めた。
[木畑洋一]
カナダの女流児童文学作家。カナダのプリンス・エドワード島生まれ。2歳で母を失い祖父母に育てられた。生地で教育を受け、教師、地方新聞の編集スタッフなどを短期間勤めた。『赤毛のアン』(1908)に始まる「アン」シリーズほか、個性的で魅力あるヒロインの活躍するシリーズもので多くの読者を獲得した。一方で、感傷的、迎合的との評もある。
[神宮輝夫]
『村岡花子訳『赤毛のアン』(新潮文庫)』▽『山口昌子訳『険しい道・モンゴメリ自伝』(1979・篠崎書林)』
アメリカ合衆国アラバマ州中部の州都。モントゴメリーとも呼ばれる。人口20万0127(2005)。市名は独立革命の英雄リチャード・モンゴメリーにちなむ。南北戦争直前,アメリカ南部連合がここで樹立され,首都となった。その後,首都はバージニア州リッチモンドに移されたが,デービス大統領の住居は,南部連合政府の〈最初のホワイト・ハウスFirst White House〉として残されている。かつては綿花,肉牛などの集散地として有名だったが,現在は各種製造工業など北部からの企業進出が始まっている。黒人に対する人種差別が激しかった所で,1955年黒人女性がバスの座席を白人に譲らなかったため逮捕されたことから,大規模な黒人のバス・ボイコット闘争が始まり,黒人側の勝利がその後全米を揺るがせた黒人革命の発端となった。この町の教会のキング牧師は,この闘争のなかから若い指導者として登場した。
執筆者:猿谷 要
カナダの作家。処女小説《赤毛のアンAnne of Green Gables》(1908)に始まり,《イングルサイドのアン》(1939)に及ぶ全8巻の〈アン・シリーズ〉で広範な読者層をもつ。プリンス・エドワード・アイランドの美しい牧歌的な風光と天衣無縫の主人公の性格の魅力が読者の心を強くとらえ,この作者の,より自伝的な〈エミリー・シリーズ〉(1923-27)や小説《青い城》(1926)などその他の数多い作品は,いささか影が薄い。しかし近年,評伝や研究書が出始め,作家としての全貌があらためて評価されるようになってきた。
執筆者:平野 敬一
イギリスの陸軍軍人。第2次世界大戦で1940年ダンケルク撤収にあたり,42年には北アフリカ作戦を指揮,ロンメル将軍率いるドイツ軍をエル・アラメインに破り,連合軍反撃の道を開く。44年ノルマンディー上陸作戦のイギリス軍総司令官として活躍,元帥となる。46年伯爵。48年西ヨーロッパ連合最高司令官会議議長,51-58年NATO軍副最高司令官。
執筆者:池田 清
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
「モントゴメリー」のページをご覧ください。
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…面積13万3915km2,人口427万(1996)。州都はモンゴメリー,最大都市はバーミングハム。州名はチョクトー・インディアンの言葉alba ayamule(茂みを切り開く)に由来するといわれる。…
…北アフリカでロンメル指揮の枢軸国(ドイツ,イタリア)軍は西方よりイギリスの植民地エジプトに向け進攻した。敗退を重ねていたイギリス第8軍は,モンゴメリー将軍を指揮官に迎えてから態勢を立て直し,まず1942年8月末,アラム・ファルファの戦闘で枢軸国軍を撃退した。次いで10月23日夜満月を利用して,エル・アラメイン付近の枢軸国軍陣地を攻撃,激戦の末11月4日に至りようやく突破に成功し,決定的な勝利を収めた。…
… そのほかの諸国からひろうと,スイスのJ.シュピーリの《ハイジ(アルプスの少女)》(1881)とウィースJ.R.Wyssの《スイスのロビンソン》(1812‐13),ハンガリーのF.モルナールの《パール街の少年たち》(1907),チェコスロバキアのK.チャペックの《童話集》(1932)が見落とせない。【瀬田 貞二】【菅原 啓州】
[カナダ,オーストラリア,ニュージーランド]
カナダにはL.M.モンゴメリーの《赤毛のアン》(1908)があるが,本領はE.T.シートンやロバーツG.D.Robertsによって19世紀末から開拓された動物物語にあり,その伝統はモワットF.Mowat《ぼくのペットはふくろう》(1961),バンフォードS.Bunford《信じられない旅》(1977)に息づいている。オーストラリアの近年の児童文学の隆盛はめざましい。…
…産業の第2は食品製造を中心とする製造工業,第3に建設業があげられる。日本人にはL.M.モンゴメリーの《赤毛のアン》シリーズの舞台としてなじみの州であり,アンの旧跡を訪ねる観光業も州の重要産業となりつつある。1534年フランス人カルティエの航海で見いだされたこの島は,1603年シャンプランによりサン・ジャン島と名づけられた。…
※「モンゴメリー」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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