アメリカのジャズ・サックス奏者。本名ジョン・アーノルド・グリフィンJohn Arnold Griffin Ⅲ。シカゴでコルネット奏者の父親と歌手の母親の間に生まれる。高校時代はクラリネットとアルト・サックスを吹き、学生バンドのリーダーを務める。高校卒業と同時に、ビブラホーン奏者ライオネル・ハンプトンのバンドにテナー・サックス奏者として雇われる。1945年から1947年までハンプトン楽団に在籍し、1947年から3年間はリズム・アンド・ブルース・バンドで演奏する。1951年から1953年にかけ兵役でハワイに駐在。除隊後はシカゴで自分のバンドを率いて活動するが、小柄な体躯から繰り出されるエネルギッシュな演奏ぶりから「リトル・ジャイアント」の異名をとる。
1956年ピアノ奏者セロニアス・モンクとシカゴで共演し、同年ニューヨークに出る。1957年ドラム奏者アート・ブレーキー率いるジャズ・メッセンジャーズに参加、このころから中央のジャズ・シーンでも認められるようになり、翌1958年にはセロニアス・モンク・カルテットのレギュラー・メンバーとなる。1960年から2年間、同じテナー・サックス奏者のエディ・ロックジョー・デービスEddie Lockjaw Davis(1922―1986)と2テナーのバンドを組み、ジャズ・クラブ「バードランド」に出演、レコーディングも行う。
1963年以降はヨーロッパに渡り、最初オランダ、次いでフランスに居を構え、パリ、ストックホルム、ロンドンで演奏活動を行う。1967年から1972年まで、ヨーロッパ在住のアメリカ人ドラム奏者ケニー・クラークKenny Clarke(1914―1985)と、ベルギーのピアノ奏者フランシー・ボラーンFrancy Boland(1929―2005)による双頭ビッグ・バンド、クラーク・ボラーン・バンドに参加する。1973年、デンマークの新興ジャズ・レーベル、スティープル・チェースに録音を行い、これをきっかけの一つとして、オーソドックスなジャズを見直そうという「ハード・バップ・リバイバル」の気運がジャズ・ファンの間で生まれる。1978年アメリカに帰国し、ギャラクシー・レーベルに『リターン・オブ・ザ・グリフィン』を吹き込み、彼に対する再評価の動きがアメリカでも高まる。
1980年代以降はアメリカとヨーロッパを往復しつつレコーディングを重ね、その後同じテナー・サックス奏者であるスティーブ・グロスマンSteve Grossman(1951―2020)との2テナー・クインテットでレコーディングを行うなど意欲的な活動を続けた。そのほかの代表作には、1957年に同じテナー・サックス奏者ジョン・コルトレーン、ハンク・モブレーHank Mobley(1930―1986)らと共演した『ブローイング・セッション』、1964年にヨーロッパで録音した『ナイト・レディ』、そしてモンクのサイドマンとしての諸作がある。グリフィンの演奏はデビュー当時から一貫したハード・バップ・スタイルを貫き、卓越したテクニックと独特のバイタリティあふれるサウンドによって、時代の波に飲み込まれない光を放った。
[後藤雅洋]
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…獅子の胴体にワシの頭と翼のある幻獣。グリフィンGriffinともいう。コーカサス山中に棲(す)み,黄金を守るといわれている。…
※「グリフィン」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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