モナコ公国の東北地区。東はフランスのマントンと接する。公営賭博場カジノ,豪華なホテル,別荘などがありコート・ダジュールきっての観光・保養地である。モンテ・カルロの発展はここ1世紀の公国の歴史そのものでもある。かつて洞窟を意味するスペリュブと呼ばれたこの台地には若干の住宅がみられるにすぎなかったが,19世紀中葉モナコ公シャルル3世が賭博場の建設を認めたときに今日の基礎が置かれた。1862年に開設されたカジノの経営状態は当初は思わしくなかったが,その後ドイツのホンブルクでカジノ経営に成功したF.ブランが経営に当たり,会社組織によって新しいカジノを建設した。地名も王の名をとって,新たにモンテ・カルロと名づけられた(1866)。カジノの建物の一部はパリのオペラ座と同様C.ガルニエの設計になるものである。豪華な施設と美しい庭園,眺望のよいテラスが整備され,折から富裕階級の間に広まった旅行熱とともに発展し,国際的社交・賭博場へと成長した。芸術祭,スポーツ祭など国際的行事が行われ,モンテ・カルロ自動車ラリーは有名。
執筆者:野澤 秀樹
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モナコ公国の北部を占める地区。南のモナコ地区とは港を挟んで反対側(北)に位置する。1856年シャルル3世Charles Ⅲ(1818―1889)が公国の財源確保のため賭博(とばく)場(カジノ)の開設を許可、1861年に開設して以来、カンヌ、ニースと並び、地中海のコート・ダジュール有数の観光・保養地、海水浴場として発達した。有名な国営賭博場のもっとも古い部分(西側)は、パリのオペラ座をつくったシャルル・ガルニエによって建設されたもので、1879年に開設された。賭博場のなかには劇場、大広間、ルーレット用の部屋があり、前庭は階段式花壇になっている。音楽祭、ヨットのレガッタ、自動車レースのモンテ・カルロ・ラリーなどの催し物が多い。
[青木伸好]
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…19世紀にはドイツのバーデン・バーデン,フランスのカンヌ,アメリカのサラトガなどに著名な賭博場がつくられた。現在では,観光や外貨獲得の目的で開設を公認している国や地方自治体も多く,モナコのモンテ・カルロ(1861創立),アメリカのネバダ州ラス・ベガス(1931創立)などが大規模で世界的に有名である。カジノにはルーレット,カード賭博,さいころ賭博の設備が備えられ,賭博機械が設置されている。…
…日照時間も年間3000時間に近く,きわめて温和で,風光明美な土地柄(がら)と合わせて避寒地として発達,観光・保養地となっている。公国はモナコ市,ラ・コンダミーヌ,モンテ・カルロ,フォンビエイユの4地区に分けられているが,一つの連続した市街地を形成しており,北側はフランスのボーソレイユ地区の市街地と連担(コナベーション)している。首都モナコ市の大部分は,地中海に突出した岩盤の岬上にあり,13世紀ジェノバ人の建設した要塞跡に現王宮が建てられている。…
※「モンテカルロ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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