漢籍では、もともと国の威光を見る意で、国の文物や礼制を観察するという意味があった。日本でも中世以降ほぼ同様の意で用いられてきたが、現在のような単なる遊覧の意味で用いられるようになるのは、比較的新しく、明治期後半からである。
一般的には「日常の生活では見ることのできない風景や風俗、習慣などを見て回る旅行」を意味したが、旅行の安全性や快適性が進むにつれて、遊覧や保養のための旅行など「楽しみのための旅」全般をさすことばとして広く使用されるようになった。
[小谷達男]
日本で観光という語が使用されたのは、1855年(安政2)にオランダより徳川幕府に寄贈された木造蒸気船を幕府が軍艦として「観光丸」と名づけたのが最初である。その意図は、国の威光を海外に示す意味が込められていたといわれる。ちなみに「観光」の語源は中国の『易経』の「観」の卦(か)(観察についての項)に由来している。「観国之光 利用賓于王」(国の光を観(み)るは、もって王の賓たるによろし)から生まれた語で、その本来の語義は「他国の制度や文物を視察する」から転じて「他国を旅して見聞を広める」の意味となる。また同時に「観」には「示す」意味もあり、外国の要人に国の光を誇らかに示す意味も含まれているという説もある(井上萬壽藏(ますぞう)著『観光と観光事業』1967)。
日本で観光の語が現代的な意味で使用されるようになったのは、英語のツーリズムtourismの訳語としてあてられるようになった明治なかば以降である。とくに一般化したのは大正に入ってからで、とりわけ1923~1924年(大正12~13)ごろ、アメリカ移住団の祖国訪問に際して新聞紙上で「母国観光団」として華々しく報道されたためだといわれる。しかし、日常的な語として広く使用されるようになったのは昭和初期以降であり、世界的な観光黄金時代を背景にして鉄道省に国際観光局が設置(1930)されたのを契機に民間機関も設立され、国内観光の気運が高まりをみせ始めたころからである。ただ、現代用語としての観光の概念は、英語のツアーとは語源、語義を異にするため、かならずしも概念的に合致しているわけではない。すなわち、ツアーはラテン語のターナスtornus(ろくろの意)を語源としており、巡回旅行を意味する用語として生まれた語である。したがって、語意的には旅行の内容や目的には関係なく、旅行の態様に意味づけられた用語といえる。これに対して観光は、その語源から旅行の内容や目的によって意味づけられている面が強い。観光の状況に対して、そのあり方やあるべき姿について絶えず強い関心がもたれるのはそのためでもある。そこで観光とはごく一般的には「人々が気晴らしや休息ならびに見聞を広めるために、日常生活では体験不可能な文化や自然に接する余暇行動である」と規定することができる。なお、これは観光行動についての規定であるが、このような観光行動によって生起する社会現象としての観光を対象にする視点もある。この場合、前者を狭義の概念とし、後者を広義の概念としている。観光問題とか観光対策という場合の観光は広義の立場からの使用である。
世界の各国が国策として観光振興に乗り出したのは20世紀に入ってからであり、ヨーロッパ諸国では第一次世界大戦後の経済復興に国際観光を積極的に振興した。同時に西欧諸国では国内観光政策にも努め、とくに北欧諸国やスイスで推進された、観光旅行に出かけにくい国民層を対象とした施策(ソシアル・ツーリズムsocial tourism)は注目に値する。
[小谷達男]
楽しみのための旅行の歴史は文明発達の歴史と同じくらい古いといわれるが、現代観光に近い形態の旅は古代ギリシア時代にもみることができる。古代ギリシア人は、紀元前776年から開かれたオリンピアの競技大会へ見物に出かけたり、エーゲ海の島々に転地保養に行ったと伝えられている。同時にこの時代には国内各地に神殿が数多く建設され、参詣(さんけい)者が多数集まったといわれる。なお、参詣者はすべて沿道の民家でもてなしを受ける習慣があり、その歓待の精神はホスピタリタスhospitalitasとして最高の美徳とされたが、今日でも観光者を迎えるにあたってのホスピタリティhospitalityは不可欠な要素となっている。ただ、より現代的な観光の旅が出現するのはローマ時代に入ってからである。「ローマの道は世界に通ず」といわれた道路の整備と治安の安定は上層階級の間に多様な旅を可能にした。遠くはエジプトのピラミッド見物や、近くはカプリ島への遊覧が行われ、食べ歩きの旅や南イタリアへの温泉保養の旅などが盛んとなった。しかしローマ帝国の崩壊は、治安の悪化や道路の荒廃をもたらし、貨幣経済から実物経済への逆行などもあり、観光気運は消失して観光史の空白時代をもたらした。ただ中世の旅を特色づけているのはエルサレムやローマなどへの聖地巡礼の旅と十字軍の遠征であるが、とくに十字軍の遠征は後世における東方への旅の足掛りを築いた点で注目に値しよう。
ヨーロッパに現代的な観光の旅が復活したのは産業革命を契機とした資本主義経済の興隆期に入ってからで、鉄道や汽船が発明され、道路、通信が発達するとともに宿泊施設も整備されるなど旅行条件は大きく発展した。この時期にはドイツのベデカーKarl Baedeker(1801―1859)の『旅行案内書』が発行(1828)されたり、イギリスのクックThomas Cook(1808―1892)による旅行代理業excursion agentが創業(1845)されるなど、近代観光の萌芽(ほうが)を告げるできごとが現れる。またヨーロッパの貴族たちが好んで外国旅行に出かけるようになったのもこの時代である。後世の歴史家はこの時期をグランド・ツアーの時代とよんでいる。19世紀の終わりから20世紀の初頭には、ヨーロッパと北アメリカ間を豪華客船が往来し、アメリカでも近代的ホテル時代を迎えることになる。しかしながら、観光が現代的な様相をみせるようになるのは第一次世界大戦後であり、ヨーロッパ各国では経済復興の手段として外国人観光者による外貨収入を重視し、国策として観光政策を積極的に推進した。その結果アメリカ人のヨーロッパ観光、ヨーロッパ内部の観光往来が盛んとなった。さらに第二次世界大戦後の世界の観光事情は、交通機関の飛躍的な発達(ジェット機、高速自動車道、高速鉄道)や経済発展を背景にしてアメリカ、ヨーロッパ、日本などの先進工業国を中心に観光の大衆化時代を迎えた。
[小谷達男・橋本俊哉]
日本でも現代的な観光状況が出現したのは1930年代からであるが、その歴史は、古代に貴族の間で行われていた遊山や行楽にさかのぼることができる。当時すでに吉野、熊野や高野山(こうやさん)では多くの貴族の参詣があり、有馬(ありま)、道後(どうご)の温泉地を訪れる貴族は後を絶たなかったといわれる。また奈良・平安時代には大陸(隋(ずい)、唐、渤海(ぼっかい))からの使臣を接待するための迎賓館として難波(なにわ)(大阪府)に高麗館(こうらいかん)、京都と難波と大宰府(だざいふ)(福岡県)に鴻臚館(こうろかん)が設けられたが、これは外国人接遇のための初めての措置であった。楽しみの旅が一般庶民に普及するのは江戸時代に入ってからであり、お伊勢(いせ)参りは、その代表であった。明治になると、旅行を規制していた関所の廃止や移動の自由が認められ、鉄道の発達などもあって楽しみを求める庶民の旅は大幅に増加した。なかでも日本特有の修学旅行制度の発足は特筆に値しよう。また、宣教師ショーA. C. Shaw(1846―1902)らによる軽井沢の開発(教会と別荘を初めて建設し避暑地として知られるようになる)や、同じく宣教師、登山家ウェストンによる日本アルプスの紹介、志賀重昂(しげたか)の『日本風景論』(1894)が発刊されるなど、明治のなかばになると自然風景や保養地への関心が高まりを示すようになった。他方、国際観光は訪日外国人が急増し、東京・築地(つきじ)にはいち早く「ホテル館」が開業(1868)したのをはじめ、横浜、日光、箱根、神戸などにも続々とホテルが建設され、1883年(明治16)には内外上流社会の社交クラブ鹿鳴館(ろくめいかん)が開館した。さらに1893年には日本初の外客誘致機関として貴賓会Welcome Societyが設立され、1912年(明治45)3月にはその機能を充実させるためにジャパン・ツーリスト・ビューロー(日本交通公社の前身)が創設されるなど、明治政府の国際観光に対する関心の高まりがうかがえる。しかし、この時期の政府の対策は、もっぱら来訪した外国人客に対する接遇であり、外国人観光者の誘致に乗り出したのは大正から昭和にかけてである。
[小谷達男・橋本俊哉]
観光事業は観光産業とともにツーリズムの訳語として生まれた用語である。しかし、観光産業は観光者の観光行動に対して営利を目的に財・サービスを提供する観光諸企業の総称であり、観光事業の有力な構成員ではあるが、観光事業をトータルシステムとしたサブシステムとみるべきであろう。他方、観光事業は、国際観光においては国際文化の交流や外貨の獲得を、国内観光においては国民の保健の増進や教養の向上ならびに地域経済効果の促進など、社会的、文化的、経済的な諸効果を高めることを目的にしている。その事業展開においては、国民的な所産である観光資源(山岳、峡谷、温泉などの自然観光資源と、祭礼、年中行事、民俗舞踊などの人文観光資源)に立脚しているばかりか、観光基盤整備では社会資本に依存するなど、国や地方公共団体の観光事業への参加を不可欠なものとしている。つまり観光事業は官民一体のシステム事業とみなすことができる。しかも観光事業の構成員たる官民はそれぞれサブシステムを構成するとはいえ、ともに観光のみを目的にした産業や機関ではなく、それぞれ観光上の機能的部分をもって構成するサブシステムであるところに特色がある。すなわち観光産業は、ホテル・旅館業、交通業、旅行業を中核産業とした複合産業であるのに加えて、その多くの業種はすべてを観光者に依存しているわけではない。また、公的機関も観光資源の扱いが自然公園行政や文化財行政の一環として行われているように、行政的対応の多くも直接観光を目的としたものではない。
このように観光事業は種々の業種、機関からなり、そのうえ官民ともにそれぞれ独自の機能を通して観光の効用や効果に影響を及ぼす部分的機能集団であることが指摘される。したがって、よりよい観光の状態をつくりあげたり、より高い観光効果を追求するには、関連業種・機関の組織化を図り、目的を与え、有機的な活動体とすることが必要である。観光事業は、まさにこのような目的的な活動を内容とした事業として存在しているとみるべきである。そこで観光事業は「観光の効用とその社会的・文化的・経済的な効果を合目的に促進することを目的とした組織的な活動」ということができる。また、観光事業は、国際観光については国際観光事業、国内観光については国内観光事業というが、一般に事業効果の範囲に応じて使用(たとえば東京都の観光事業など)されている。
次に観光事業の指標でもある世界規模の旅行者の動向についてみると、世界観光機関World Tourism Organization(UNWTO)によれば、2012年に世界の国際旅行者数は10億人に達し、各国の旅行収入の総計も1.2兆ドルに及ぶと推計されている。1982年にそれぞれ2億8000万人、999億ドルであったことからも、20世紀後半以降の旅行者の急増がみてとれる。地域別にみると、1981年にはヨーロッパ発が全旅行者の70%、アメリカが20%と両地域に集中し、アジア太平洋地域は5.4%にすぎなかったが、2012年にはヨーロッパ発が53%、次いでアジア太平洋地域が22%、アメリカ17%となっており、アジア太平洋地域発の旅行者の増加が顕著であることがわかる。
日本の国際観光についてみると、訪日旅行者は着実に増加しており、1977年(昭和52)に100万人、1990年(平成2)に300万人、2002年(平成14)には500万人を超え、2010年には861万人と過去最高を記録した。一方、日本人の海外旅行者数は1986年に500万人、1990年に1000万人を超え、21世紀に入ってからは、おおむね年間1600万~1700万人台で推移している(法務省および独立行政法人国際観光振興機構(JNTO)資料に基づき観光庁発表)。国内観光については、観光庁によれば、2005年に1人当り1.78回、2.92泊であった宿泊観光が、2010年には1.34回、2.12泊と、漸減傾向にある。
[小谷達男・橋本俊哉]
観光基本法(昭和38年法律第107号)に明示された観光政策の基本方針は、全面改正された観光立国推進基本法(平成18年法律第117号)に引き継がれた。その施策の実行にあたっては、きわめて広範囲な行政分野の協力を必要とする。したがって、観光政策は観光行政によって実行されるというよりも、観光に関連ある行政分野において、観光政策的配慮のもとに実行されているといえる。観光行政はほとんどすべての省庁に関連しており、関連性が強いおもな省庁についてみると次のとおりである。
[小谷達男・橋本俊哉]
観光立国推進基本法の成立(2006)と翌年の観光立国推進基本計画の閣議決定を受けて、国をあげて観光立国を推進するために、2008年(平成20)に国土交通省の外局として発足した。国際観光および国内観光の拡大・充実に向けて、国際競争力の高い観光地づくりや旅行ニーズにあった観光産業の支援、観光分野に関する人材の育成、国際観光交流の推進などに関する諸施策を講じているほか、毎年、前年の観光の状況報告とその年度の観光政策を『観光白書』として刊行している。
[橋本俊哉]
観光に関する直接の施策は観光庁に移管されたものの、道路局による幹線道路網の整備は、そのまま観光幹線ルートを形成するし、有料道路はしばしば観光道路として利用されている。また、都市局は都市計画事業を通して公園や緑地の整備を推進しており、観光地の風致や美観上の措置を講じている。国営公園の多くは観光レクリエーション地を形成しており、奈良、京都、鎌倉における歴史的風土の保存措置や建設中のレクリエーション都市は観光行政のうえからも大きな役割をもつ。
また、交通政策審議会に「観光分科会」を設けて観光立国の実現に関する重要事項を審議するほか、国土交通大臣を本部長とし、全府省の副大臣等で構成する「観光立国推進本部」を設置し、省庁間の観光関連政策の連絡調整を図っている。
[橋本俊哉]
自然保護を中心にして、国立公園、国定公園、海域公園などの自然公園行政を通して、国民の自然志向型観光レクリエーションに対応してきた。近年は、エコツーリズム推進法(平成19年法律第105号)の成立に伴い、観光振興・地域振興や環境教育の場としてのエコツーリズムの普及に向けた具体的な取り組みを進めているほか、世界自然遺産の管理計画を策定し、拠点施設として「世界遺産センター」を整備している。また、温泉資源の保護を目的とした温泉行政も所管し、国民保養温泉地の育成を図っている。
[橋本俊哉]
文化部による芸術文化行政は、美術館、博物館や芸術祭等、文化を活かした観光振興に密接に関係する。また、文化財部は、日本の優れた文化財や史跡、名勝、天然記念物を指定し、その保護・保存と利用を図っているほか、世界文化遺産や無形文化遺産の窓口となっている。文化遺産や指定文化財の多くは観光資源でもあり、その管理は観光事業と密接に関係している。
[橋本俊哉]
観光産業の中軸を担うホテル・旅館業や飲食業は、環境衛生の指導・取締りの面から厚生労働省の所管であり、観光土産(みやげ)品の不当表示取締りは公正取引委員会の所管である。国際観光においては、出入国に関する行政措置は法務省、関税については財務省の所管である。その他観光施設や観光地開発について農林水産省、林野庁、総務省なども関係している。
[小谷達男]
『財団法人日本交通公社編『観光読本』第2版(2004・東洋経済新報社)』▽『溝尾良隆編著『観光学全集第1巻 観光学の基礎』(2009・原書房)』▽『寺前秀一編著『観光学全集第9巻 観光政策論』(2009・原書房)』▽『前田勇編著『現代観光総論』改訂新版(2010・学文社)』▽『観光庁編『観光白書』各年版(日経印刷)』
観光という語は,観光行動を指す場合と,関連する事象を含めて社会現象としての観光現象を指す場合とがある。観光行動と解する場合,狭い意味では,他国,他地域の風景,風俗,文物等を見たり,体験したりすること,広い意味では,観光旅行とほぼ同義で,楽しみを目的とする旅行一般を指す。観光に対応する英語はツーリズムtourismであるが,厳密にいえば,ツーリズムの概念は観光より広く,目的地での永住や営利を目的とせずに,日常生活圏を一時的に離れる旅行のすべてと,それに関連する事象を指す。
日本で観光という言葉の意味がどのようにとらえられているかを明らかにした調査(1979。総理府)によれば,観光とは,自然景観や名所・旧跡を〈鑑賞・見物〉したり,神社・仏閣に〈参詣〉することと理解されているようである。研究調査や統計のための観光の概念では,例えば〈休養〉や〈スポーツ〉を目的とする旅行も,観光に含めることが多い。しかしながら,一般の人々でそれらを観光と考える人は少ない。観光という言葉の意味がこのように何かを見ること,あるいは参詣と解釈されるのは,この言葉の語源と日本における観光の歴史に照らして自然なことといえる。観光の語源は中国の古典《易経》の中の〈国の光を観る〉に由来するとされ,他国へ行って,その国の風景,風俗,文物等を〈見る〉という意味である。およそ国の文化というものは,自然を背景とする村落や都市の景観,日常の生活様式,さらに文化の所産としての芸術等に形として現れるものであり,それらを視察することによって,自国の文化の向上に役立てるという語感を観光という言葉は持つ。明治時代にはそうした原義に沿った用法がみられ,それ以前から用いられていた〈物見遊山(ものみゆさん)〉〈漫遊〉などという語と比べると,観光は格調の高い言葉とされた。ただし,この言葉の現在の語感は,むしろ低俗な響きを持つ場合も多い。
次に多くの日本人が,〈参詣〉を観光と考えるのは,歴史的背景があってのことである。すなわち,日本における旅行の歴史を振り返ってみると,楽しみを目的とする旅行の起源は,社寺参詣の歴史の中に求めることができる。参詣は本来敬虔な信仰心に基づくのであるが,江戸時代に一般大衆の間にまで楽しみを目的とする旅行を行うだけの経済力その他の条件が整うなかで,たてまえとしての参詣,ほんねとしての享楽的な旅行が広まった。それが例えば伊勢参りを名目とする上方見物であった。参詣という名目を必要としたのには,封建体制の中で一般大衆の移動が厳しく制限される一方で,参詣だけは信仰心に基づくだけに制限しにくいという事情があった。とくに総氏神とされた伊勢神宮に対する〈お伊勢参り〉は特別扱いであった。このように,参詣は楽しみを目的とする旅行の始まりであり,現代においても全国の多くの神社や仏閣が多数の観光客を受け入れているのは,こうした歴史的背景に根ざしている。
ところで,観光という言葉が一般に広く用いられるようになったのは,大正時代に英語のツーリズムの訳語とされるようになってからだといわれる。実際,現在では観光とツーリズムは,とくに研究調査や国際的な統計の分野で同義語として扱われることが多く,そのことも一因となって現在における観光という言葉の意味は,上述のような語源としての意味よりはもっと広義なものとなっている。語源から見ると,ツーリズムはツアーtourという語に,行動,状態,主義などを表す接尾辞-ismのついた語であるが,ツアーは〈ろくろ〉を意味するラテン語のtornusから出た語で,〈巡回〉〈周遊〉を意味する。つまりツーリズムは,人々が巡回旅行をすること,それを社会現象としてとらえた語といえる。ツーリズムという言葉がイギリスで使われるようになったのは19世紀の初めで,その後世界的に使われるようになった。ドイツ語では,〈外客の往来〉を意味するFremdenverkehrという語があるものの,現在ではTourismusが同義語として普及している。
このように観光とツーリズムは語源的に意味合いが異なり,厳密にいえば,観光に対応する英語はサイトシーイングsightseeingだとする考え方もある。サイトとは〈ながめ〉,シーイングとは〈見ること〉であり,したがってサイトシーイングとは〈名所見物〉を意味し,観光の語源的な意味に近くなる。ツーリズムといえば,サイトシーイングより広範囲の旅行を含み,例えばベルネッカーP.Berneckerは,ツーリズムを行動の動機によって分類し,〈保養〉,〈文化的〉(例えば教養を深めるための旅行),〈社会的〉(例えば新婚旅行),〈スポーツ〉,〈経済的〉(例えば商用旅行),〈政治的〉(例えば外交のための旅行)に整理できるとしている。このようにツーリズムの概念では,いわゆる商用旅行もそれが会議への参加等が目的で,目的地を継続的な職業の場としない限りツーリズムに含まれる。この点日本では,観光といえば商用旅行は含まれず,商用旅行といえども楽しみの要素が含まれるという場合には,専門用語として〈兼観光〉という語が使われる。
ここでツーリズムの学者による定義を紹介すると,国際的な観光研究者の団体である国際観光専門家会議Association internationale d'experts scientifiquesでは,スイスのフンツィカーW.HunzikerとクラップK.Krapfによる定義を採用しており,それによると〈ツーリズムとは,非居住者が,永住することにつながるのでなく,またいかなる営利行為にも関係しない限りにおいて,彼らの旅行と滞在から生ずる諸現象と諸関係の総体である〉とされている。一方,日本における観光の定義としては,井上万寿蔵によるものが有名で,〈人が再び戻る予定で,日常生活を離れ,レクリエーションを求めて移動すること〉とされている。井上は,行動の目的をレクリエーションとすることによって,上掲のツーリズムの定義と比べれば概念を狭く規定している。なお,行動の目的をどうとらえるかについては,さまざまな見解がある。先述した観光の語源的な意味に忠実で規範的な考え方をすれば,観光概念はより狭くなり,井上のようにレクリエーションとすればより広くなる。そのため《観光白書》では,〈観光レクリエーション〉という用語を用いている。レクリエーションという語も概念規定の難しい言葉であるが,ここでは冒頭で述べたようにレクリエーションの代りに〈楽しみ〉という日常的な言葉を用い,広義の観光概念を〈楽しみを目的とする旅行〉とした。
広義の観光概念に立脚して,その歴史について概説する場合,まず問題となるのは,観光を可能とするような前提条件がいつごろ整ったかという点である。前提条件としては,(1)経済的な余裕,(2)時間的な余裕,(3)観光への意欲,また外的条件として,(4)交通手段,(5)斡旋その他の媒介機能,(6)宿泊施設,(7)観光資源の保護と観光対象の開発,といった条件が挙げられる。そしてさらにより基礎的なものとして,(8)治安の維持,(9)貨幣経済の発達,(10)旅行の禁止その他の制度的な阻害要因の除去,といった点が挙げられる。しかし,こうした経済的・時間的条件に最初に恵まれたのは,特権的な富裕階級であり,観光はまず貴族から始まり,その歴史は日本の場合,奈良時代,ヨーロッパではギリシア・ローマ時代にまでさかのぼることができる。旅行の目的としては参詣や温泉場での保養であり,ギリシア時代には古代オリンピックへの見物旅行まであった。しかしながら,そうした観光が一般大衆の間にまで広がるのは近代になってからで,日本では江戸時代以降,本格的には第2次世界大戦後のことに属する。
観光への意欲の点からみると,まず最初に現れたのが信仰心によるものであった。信仰心は欲求としてきわめて強く,外的条件が十分整っていなかった時代においても,多くの人々を旅行へ駆り立てた。その後先述したような諸条件が満たされるにおよんで,保養や名所見物等さまざまな観光意欲が顕在化するが,最後に自己の精神を啓発し,新しい文化を創造するような高次元の意欲が現れると考えることができる。その意味で現代の観光は,自己開発としての性格が強まりつつあるといえよう。岡田喜秋は,そうした変化を,旅の恥はかき捨ての〈東海道中膝栗毛型〉の旅から,旅に人生を求める《おくのほそ道》の〈芭蕉型〉へと説明している。芭蕉の旅のように,自己開発型の旅が過去において存在しなかったわけではなく,巡礼のような信仰の旅もそれであった。しかしながら,そうした旅は一部の人に限定されたものであって,観光現象の現代的特色は,自己開発,自己実現への志向が大衆的な広がりの中で認められるという点にある。
イギリスのリコリッシュL.Lickorishは,観光は〈1840年代初期の交通と通信網の驚異的な発達によって初めて比較的大規模となることができた近代に独自の現象〉としている。1840年代のイギリスといえば,鉄道網の完成によって移動の時間的距離が大幅に短縮され,またクックT.Cookによって現在では〈旅行業〉と呼ばれる新しい事業が始められ,一般大衆にとって観光が身近なものとなった時代であった。一般にヨーロッパの研究者の間では,19世紀半ばを大きな転換期とし,それ以前を観光前史と位置づけ,それ以降については,第1次大戦ないし第2次大戦以後を本格的な大衆化の時代とするのが普通である。
→旅
執筆者:岡本 伸之
観光の対象とされる地域において,観光収入を目的として行われる開発行為には,他の開発とは異なる次のような点を認めることができる。(1)観光対象である自然的・人文的諸資源に一定の加工を加えるために資源の価値に変化をもたらすこと,しばしばそれは自然環境や美観ないしは歴史的風土などの絶対的価値の減殺とみなされる場合があること,(2)関係地域住民の生活や要求とは原則的に無関係な外来観光客の行動ないしは要求に対応する開発であるため,両者の間にしばしば矛盾をもたらす場合があること,である。日本で観光開発特有の諸問題が意識されはじめたのは,1955年ごろからの高度成長期以来のマス・ツーリズムmass tourismの動向に対応する大規模な観光開発が,各地でさまざまな問題を惹起するようになってからであり,世界的にみてもほぼ同様である。すなわちこの時期以降,従来とは質的にも規模の上でも異なる開発行為の出現が,例えば次のような諸矛盾を爆発的に生起した。
(1)に関しては,とくに急速な自家用車保有の増大に対応したドライブウェー開発が各地の自然環境を大きく破壊した事例に代表されるが,ほかにスキー場開発や,マリーナ開発,シーショア開発でも同様である。著名な事例としては富士スバルライン,石鎚山スカイライン,南アルプススーパー林道,北海道・東北・信州各地でのスキー場開発,奄美諸島,沖縄におけるシーショア開発,海外の事例ではハワイ州(アメリカ),リビエラ海岸(フランス)等におけるシーショア開発などを挙げることができる。いずれも雄大な自然環境が売りものの観光地であるが,大規模な開発による自然生態系の破壊が不可逆的に進行して,観光価値を高めるための行為が,結果として対象の資源価値を低めるという矛盾を招いている。類似の事例は人文的資源についてもあり,例えば京都や奈良の有名社寺の周辺では,大量の観光客を導入するための車道開発や駐車場の設置および観光客のための店舗や宿泊施設の設置が,静寂な古都のたたずまいの魅力を大幅に減じている状況があり,同様の問題は各地で起こっている。いずれも観光の大衆化,マス・レジャー化と深い関係があり,増大する観光需要に対応するために必然的にそうならざるをえなかったという側面もあるが,観光開発を進める側における無定見,行政による的確な対応の遅れ,あるいは技術開発の未熟さといった諸側面の複合的な作用の結果として起こった事態とみることができる。(2)の点に関しては,地域住民疎外の極端な事例として,例えばアメリカのインディアン居留地や北海道のアイヌ集落を対象とする観光地づくりや,東南アジア等における買春観光の問題があるが,類似の側面は多かれ少なかれ従来の観光開発に共通の問題として存在している。例えばハワイ州住民の〈われわれは最も良い海水浴場であるワイキキの浜辺を彼ら(観光客)に占拠されてしまった〉という声などを挙げることができる。ほかに地域無関係型ではディズニーランドなどのテーマ・パーク型,ラス・ベガス型,サファリ・パーク型などの閉鎖型の開発形態があり,周辺地域にもたらす影響としては諸矛盾の外部放出の問題がある。国民の観光需要の増大とともに以上の諸問題の激化が予想されるが,観光の本旨にたち返るならば環境保全および地域住民生活との共存共栄をはかる観光開発こそが,本来のあるべき姿である。
執筆者:片寄 俊秀
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
… ところでこの種の探検的な旅を,当の社会全体にとって未知な空間世界への探索,またそれを通じた未知世界の既知世界への組み込みだとすれば,既知の世界内でありながら,個人的な知の拡大衝動にもとづいてなされる旅もある。観光旅行もそうであろうし,なんでも見てやろうという動機にもとづく旅もそうである。こういう旅人は,探検家のように,他の探検家がすでに訪れたか否かに拘泥しない。…
※「観光」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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