アイヌの口承文芸の一つで、「まねる」という意味のユカラyùkarから体験を物語る意味になり、詞曲の総称にもなった。日常語のヤヤンイタクyayan-itak(普通のことば)でなくアトムテイタクatomte-itak(飾られたことば)で語る。アイヌの社会にシャーマニズムが生きていたころの託宣のことばが、巫謡(ふよう)となり、ユーカラへと発達した。神の託宣を母体にしたので「私は……、私は……」と、第一人称説述体で語られていたが、一つの形態として確立してからは第三人称叙述体のものもみられるようになった。すべて口碑伝承によるが、回を重ねるごとに伝承者自身の人柄や巧拙などの影響でストーリーと常套句(じょうとうく)を除いて変化していく。
[萩中美枝]
ユーカラに現れる神は多様で、アイヌにとって重要な神もあれば人間の知恵に負けて引き下がる神もいる。これらの神々が自分の体験を語る形式をとる比較的短編の物語で、折返し(リフレイン)がつくのが特徴である。火・風などの自然神、シマフクロウ・桂(かつら)などの動・植物神、臼(うす)・舟などの物神の物語と、人間の始祖とされる神の語るものがあり、前者の「自然神のユーカラ」のほうが後者の「人文神のユーカラ」よりも変化に富み、一編一編に曲がついていて数も多い。折返しも意味のあるものがみられ、たとえば「銀のしずく降る降るまわりに、金のしずく降る降るまわりに」という折返しは、村をつかさどる神のシマフクロウが物語のなかでこの歌を歌いながら舞う情景からとっている。ほかにも語る神の声や音で表すこともあり、リズミカルに語り進む。人文神のユーカラは導入部を文字にすると「人間のユーカラ」に似ているが、それ以降の物語の展開の仕方、語り口などで判別できる。自然神のユーカラをカムイユーカラkamuy-yukar、人文神のユーカラをオイナoynaとよぶ習慣があるが、採録・文字化されたものが比較的多かった地方の呼称法で、オイナといえば自然神のユーカラをさす地方も多く、サコラウ、マッユーカラなど多くの名称もあって一様ではない。
[萩中美枝]
人間のユーカラのヒーローは城の高床の上でたいせつに育てられている。育てるのは姉がもっとも多く、ついで兄、おじ・おばのこともあるが血縁ではない。ヒーローの実名も伝えず、住んでいる土地の名に、幼い、若いという意味のポンponと、神や人の意味を表すクル-kurをつけてよぶ。シヌタプカにいればポンシヌタプカウンクルpon-sinutapka-un-kur(若いシヌタプカにいるひと)、オタスッならポンオタストゥンクルpon-otasut-un-kurで、ポイヤンペpon-ya-un-pe(小さい陸地びと)という別名もみられる。物語の内容は大同小異で、冒頭にヒーローがだれに育てられているかの説明があって城の中の描写に移り、成長していくようすが語られる。成人に達しようとするころから筋書きが変わり、なにかの理由で城を出て、外での体験を経て城に帰るまでの物語で、巫術(ふじゅつ)に優れ超能力をもっているヒーローは際限なく戦いにも勝ち、美しい女に恋されることもある。英雄詞曲とよばれるゆえんだが、女性がヒロインとなる場合もある。
江戸時代には「蝦夷浄瑠璃(えぞじょうるり)」などといわれたが、金田一京助によって明らかにされ、その採録先〔胆振(いぶり)と日高の沙流(さる)地方〕の呼称法をとってユーカラといえば「人間のユーカラ」のことをさすようになった。ほかにサコロベsa-kor-pe、ヤィェラプyayerap、ハウhawなどの名称がある人間のユーカラは、短くても2000~3000行、一晩語り明かしても終わらないほど長大なものもあった。樺太(からふと)(サハリン)のハウキhawkiはあおむけに寝ながら語るが、古文献によると北海道でもかつてはその方法がとられたらしい。江戸末期からは演者も聞き手もレプニrep-niという棒で炉縁(ろぶち)や床(ゆか)を打ちながら調子をとり、戦闘の場面になると、演者の声と聞き手のヘッチェhetche(聞き手の掛け声)とレプニが激しく交錯し、愛の語りになると細い女声がそれに和する。常套句の反復が多いが、かえって一定の既知の語彙(ごい)の巧みな組合せが物語をより神秘的にさせる。祭りのなか、雪の夜に語られたユーカラも変容を重ね、従来の姿で語れる人は数えるほどになった。
[萩中美枝]
『金成まつ筆録、金田一京助訳注『アイヌ叙事詩ユーカラ集』全9巻(1959~75・三省堂)』▽『金田一京助著『アイヌ叙事詩ユーカラの研究』全2冊(1931/再版・1967・東洋文庫)』▽『知里幸恵編訳『アイヌ神謡集』(岩波文庫)』▽『『知里真志保著作集1・2』(1973・平凡社)』▽『久保寺逸彦編著『アイヌ叙事詩神謡・聖伝の研究』(1977・岩波書店)』▽『萩中美枝著『アイヌの文学ユーカラへの招待』(1980・北海道出版企画センター)』▽『萱野茂著『カムイユカラと昔話』(1988・小学館)』
アイヌの口承文芸の一つ。yukarの原意は〈まねる〉だが,体験を物語る意味になり,詞曲(アイヌの口承文芸のうちの〈うたわれるもの〉を指す)の総称にもなった。アイヌの社会にシャマニズムが生きていた頃の託宣の言葉が巫謡tusu-sinotchaとなり,ユーカラへと発達したとされている。神の託宣が母体だから,本来は〈私は……私は……〉というように,一人称で語られる。日常語と少し違うアトムテ・イタクatomte-itak(〈かざられた言葉〉の意)を使い,すべて口伝えで伝承されるが,伝承者の人柄や巧拙などの影響で,筋立てと常套句以外の細かい部分は回を重ねるごとに変わっていく。ユーカラは〈神々のユーカラ〉と〈人間のユーカラ〉に二分される。
火,風などの神や動・植物神,物神といった自然神が語る物語と,人間の始祖神が語るものとがあり,ともにサケヘsakehe(リフレーン)がつくのが特徴。前者の〈自然神のユーカラ〉の方が後者の〈人文神のユーカラ〉よりやや短いのが普通であるが,変化に富み,リズミカルな語り口で数も多い。リフレーンも意味のわかるものがみられ,〈銀のしずく降る降るまわりに 金のしずく降る降るまわりに〉と歌いながら舞うシマフクロウの神の歌をそのままリフレーンとして用いるような例もみられる。〈人文神のユーカラ〉は導入部が〈人間のユーカラ〉に似ているが,それ以降の物語の展開の仕方,語り口などで判別できる。〈自然神のユーカラ〉をカムイ・ユーカラkamuy-yukar,〈人文神のユーカラ〉をオイナoynaと呼ぶ習慣があるが,これは文字化された作品が多かった地方(日高の沙流(さる)地方や胆振(いぶり)地方)の呼称を採用したものであり,オイナといえば逆に〈自然神のユーカラ〉を指す地方も多い。〈神々のユーカラ〉をマツ・ユーカラmat-yukar,サコラウsakorawなどと呼ぶ地方もあるが,マツ・ユーカラは〈女のユーカラ〉の意で,道東地方では神々のユーカラは女性が伝承すべきものとされていたことからこの名が生まれた。サコラウは〈リフレーンをもつハウ(物語)〉という意味である。
巫術を使いこなす半神半人のヒーロー(ヒロイン)の物語で,《イーリアス》《カレワラ》などとともに,世界の五大叙事詩の一つに数えられる。ヒーローの実名は伝えず,住んでいる土地の名の後に,〈そこにいる(ある)〉という意味のウン-unという語と,神や人を表すクル-kurという語をつけ,それに〈幼い〉〈若い〉という意味の語ポンpon-をかぶせたものをヒーローの呼び名とする。シヌタプカにいれば,そのヒーローはポンシヌタプカウンクルPonsinutapkaunkurで,この名は〈シヌタプカにいる若いひと〉の意となる。その土地がオタスツなら,ポンオタストゥンクルPonotasutunkurである。しかし,ときにはポイヤウンペPoyyaunpe(〈小さい陸地の者〉の意。poyはponの変化形)のように地名を省略して呼ばれることもある。
物語の内容は大同小異で,ヒーローがなんらかの理由で戦いに巻き込まれ,恋の経験もして城に帰り着くまでを語るものが多い。つねに勝利を得るので英雄詞曲と呼ぶ研究者もいる。江戸時代には蝦夷浄瑠璃(えぞじようるり)などと称された。金田一京助によって研究,紹介されて以来,ユーカラといえばこの〈人間のユーカラ〉を指すようになったが,アイヌ語では一般にサコロベ(サコルペ)sakorpe,ヤイエラプyayerap,ハウhawなどとも呼ばれている。
この〈人間のユーカラ〉は大作が多く,短いものでも2000句余,朝まで語り続けても終わらぬほど長大なものもあった。古文献によると,北海道でもサハリン(樺太)のハウキhawkiのように仰臥して語ったらしいが,のちには座るようになり,演者も聞き手も体を前後左右に揺すりながら,レプニrepniという棒で炉縁や床を打って調子をとる。そのうえ,戦闘の場面では聞き手が激しく〈ヘイ! ヘイ!〉とか〈ヘッ! ヘッ!〉という掛声をかけ,愛の語りになると細い女声が和する。語り手と聞き手が一体となったなかで,物語は進行する。常套句の反復が多いが,一定の既知の語彙の巧みな組合せが,物語をいっそう神秘的にもさせている。まつりや雪の夜に語られたユーカラも変容を重ね,伝承者も少なくなって,現存者は十指に満たないほどになった。
執筆者:萩中 美枝
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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アイヌ民族が伝承する長編の英雄詞曲・神謡。地域によってハウキ・サコロペ・ヤイェラップなどとよぶ。一例をあげれば,ポンシヌタプカウンクル(ポイヤウンペとあだなされる)という若き英雄がレプンクル(沖に住むひと)といわれる人々と幾多の戦いをへて,やがて美貌の伴侶をえて故郷に凱旋するという構成。聞き手が拍子棒で拍子をとり,語りの間合いに掛け声を入れながら語られる。アイヌ文学を代表する作品群として知られ,古くは蝦夷浄瑠璃・軍談浄瑠璃とも称された。知里真志保によって,ヤウンクル(本土びと)とレプンクルとの戦いというモチーフがアイヌ民族とそれ以外の民族との民族戦争にもとづくとの考えが提示されて以来,歴史性をめぐって議論がある。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…【河野 本道】
【文学】
広義には歌謡も含まれるが,一般にアイヌの文学といわれているものは,口承文芸の中の叙事文学に属し,〈うたわれるもの〉と〈語られるもの〉に大別できる。これらはアイヌの社会にシャマニズムが生きていた頃の託宣の言葉がトゥス・シノッチャtusu‐sinotcha(巫謡)となり,ユーカラyukar(詞曲)へと発達し,さらに語られる文学へと発展したものである。神の託宣を母体とするので,〈私は……私は……〉と,第一人称説述体で語られるものが多い。…
… このように,アイヌ民族は13~15世紀に北方諸民族をはじめ中国・日本との関係を持ちつつ活発な動きを展開し,それを大きな契機として一つの民族としてのまとまりを急速に強めていった。英雄ユーカラの成立も,こうしたアイヌ民族をとりまく内外の動向と深くかかわっているとみられるが,成立の時期については14~16世紀説,17世紀末~18世紀説の二つの見解がある(ただしその歴史性を認めない見解もある)。
[和人の侵入]
15世紀に入ると日本社会との間に大きな矛盾が発生した。…
…アイヌは古来文字を用いず,アイヌ語固有の文字体系はないが,17世紀以来かたかなやラテン文字,キリル文字によってアイヌ語を記録することが行われ,近年ますます出版物が増えている。叙事詩ユーカラに用いられる言葉と日常会話に用いられる言葉は,語彙や言い回しの点でかなり異なっており,前者を〈雅語〉,後者を〈口語〉あるいは〈日常語〉と呼んで区別している。
[音韻]
母音はi,e,a,o,uの5,子音はp,t,k,c,s,m,n,r,h,’(喉頭音),w,yの12で,音節構造は北海道方言で子音+母音,子音+母音+子音の2種類,樺太方言ではそれに子音+母音+母音(ただし同一母音)を加えた3種類だけである。…
※「ユーカラ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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