言語学者。明治42年2月24日、北海道登別(のぼりべつ)のアイヌ首長(しゅちょう)の家柄の二男に生まれる。『アイヌ神謡集』の著者、知里幸恵(ゆきえ)の弟。室蘭(むろらん)中学時代から俊秀で聞こえ、金田一京助の世話で上京、東京帝国大学文学部言語学科に学んだが、その卒業論文であった『アイヌ語法概説』は、現在もアイヌ語を学ぶ人々に読まれている好著である。彼は自らを言語学者であるより民族学者であるとし、アイヌ語をアイヌ同族の生活意識のなかから研究することを目的としていた。まず樺太(からふと)(サハリン)に職を求めてカラフトアイヌ語を調べ、北海道に戻ってからも広く道内の同族から、方言上の差異を考えた採録を繰り返した。彼がつくり始めた『分類アイヌ語辞典』は、各分野における数多くの語彙(ごい)について、ことばをより細かい成分に分析してその元来の意義を解明しただけでなく、ことばの採録の場所、そのことばが使われた生活の背景、用途が詳述され、師金田一京助も世界の辞典中比較するものがないと驚嘆したが、不幸にして「植物篇(へん)」「人間篇」で中断した。その他の数多い諸著とともにアイヌ学上の不朽の仕事を残した。文学博士、北海道大学教授。昭和36年6月10日没。
[山田秀三 2018年10月19日]
『『知里真志保著作集』4巻・別巻2(1973~1976・平凡社)』
アイヌ民族出身の言語学者,民俗学者。アイヌの叙事詩ユーカラの伝承者として有名な金成(かんなり)マツをおばとし,《アイヌ神謡集》(1923)の知里幸恵(ゆきえ)を姉として,現在の北海道登別市に生まれた。金田一(きんだいち)京助の文法を出発点としながら独自のアイヌ語文法体系を構築し,またJ.バチェラーや永田方正など先人のアイヌ語,地名研究を鋭く批判した。その《分類アイヌ語辞典》(〈植物篇〉1953,〈人間篇〉1954,〈動物篇〉1963)は,アイヌ文化研究者にとって必携の書となっている。その他アイヌ民族の言語,習俗,フォークロアについて広範な研究活動を行い,1958年北海道大学文学部教授となるが,アイヌ人としての強烈な自意識を終生変わらず保ち続けた。上記のほか《アイヌ語法概説》(1936,金田一と共著),《アイヌ民譚集》(1937),《アイヌ語法研究》(1942),《ユーカラの人々とその生活》(1953,54),《アイヌ語入門》(1956),《地名アイヌ語小辞典》(1956)などの著作がある。
執筆者:中川 裕
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昭和期の言語学者
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1909.2.24~61.6.9
昭和期のアイヌ出身の言語学者・民俗学者。北海道登別出身。東大で言語学を学び,金田一京助に提出した卒業論文の「アイヌ語法概説」は岩波書店から出版された。樺太庁立豊原女学校教諭をへて,1958年(昭和33)北海道大学教授。文学博士。アイヌ語学を核にすえたアイヌ文化研究を確立。主著に「アイヌ語入門」「分類アイヌ語辞典」などがあり,これらは「知里真志保著作集」としてまとめられた。金成(かんなり)マツは母方の伯母,知里幸恵(ゆきえ)は姉。
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…【藤島 高志】 その後永田方正(1838‐1911),B.ピウスーツキ,J.バチェラーらの研究が見られたが,現代アイヌ語学の基礎を作り上げたのは金田一京助であり,その《アイヌユーカラ語法摘要》(1931)は,以後のアイヌ語研究の出発点となっている。その金田一の影響を受けて研究を始めた知里真志保は,《摘要》を下敷きに《アイヌ語法概説》(1936。金田一と共著)を著したが,その後《アイヌ語法研究》(1942)で独自の文法論を展開し,また地名研究や民俗語彙の採集に力を注いだ。…
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