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ラブリオーラ Labriola, Antonio

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

ラブリオーラ
Labriola, Antonio

[生]1843.7.2. ナポリ近郊カッシーノ
[没]1904.2.12. ローマ
イタリアのマルクス主義哲学者。ローマ大学でヘーゲル学派の哲学者 B.スパベンタにつき,1874年以後同大学哲学教授。初め,当時の哲学界の主潮であったヘーゲル哲学,実証主義哲学を講じていたが,1889年以降マルクス主義に立つ歴史哲学を教授。エンゲルスなどとの文通によってイタリアにおける最初の正統的マルクス主義者となり,世紀の変わり目のイタリア哲学界を指導した。弟子には G.ソレルクローチェなどがいたが,最後には彼らのマルクス理解を観念論によって水割りする修正主義として批判した。クローチェ以後のグラムシトリアッチなどに与えた影響は大きい。

ラブリオーラ
Labriola, Arturo

[生]1873.1.21. ナポリ
[没]1959.6.23. ナポリ
イタリアの経済学者,社会運動家。経済学を学んだのち,生地ナポリで革命的サンディカリズムの運動を起し,社会党内で改良派との主導権争いを演じた。これに敗れた 1906年以降は主として著作活動にあたり,11年にイタリア=トルコ戦争支持を表明し,第1次世界大戦でも参戦主義を表明した。大戦後の 20~21年 G.ジョリッティ内閣の労相をつとめ,ファシズムが権力を握ったあと 27年にフランスに亡命。 36年帰国したが政治活動からは遠ざかり,ファシズム崩壊後に制憲議会に選ばれ,次いで上院議員となった。晩年は共産党に近づいてナポリの市政改革に尽した。

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百科事典マイペディアの解説

ラブリオーラ

イタリアの哲学者。ローマ大学教授。エンゲルスとの文通によってマルクス主義者となり,イタリアに初めてマルクス主義を導入。その思想は,クローチェなど若い世代に大きな影響を与えた。

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世界大百科事典 第2版の解説

ラブリオーラ【Arturo Labriola】

1873‐1959
イタリアの社会主義者,経済学者。ナポリの南部革命派の伝統のなかに育ち,マルクス主義を学ぶ。1895年社会党に入り最左派を構成。フランス亡命中ソレルの影響を受け,帰国後革命的サンディカリスム運動を推進(1900‐06)。1907年社会党離党。反議会主義を捨て13年に国会議員となり,第1次大戦には参戦派であった。21‐22年ジョリッティ内閣労働相を務める。ファシズムに徹底敵対しメッシナ大学から追放された。

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世界大百科事典内のラブリオーラの言及

【マルクス主義】より

… それに対する批判もまたさまざまな論者のなかから生じた。イタリアのラブリオーラは,技術や経済のなかにのみ歴史の推進力を見いだす機械的決定論に反対し,主体的な階級意識の意義を強調する。ロシアのデボーリンはレーニンにならってヘーゲル研究に没頭し,哲学に対する諸科学の独立を主張した〈機械論者〉を批判して,個別科学に対する哲学の優位を論じた。…

※「ラブリオーラ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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