ランゲ(英語表記)Oscar Richard Lange

改訂新版 世界大百科事典 「ランゲ」の意味・わかりやすい解説

ランゲ
Oscar Richard Lange
生没年:1904-65

ポーランドの経済学者。ポズナンクラクフロンドンの諸大学に学び,のちミシガン,カリフォルニアスタンフォード,シカゴの諸大学で教職にあったが,1945年以降,駐米ポーランド大使,国連ポーランド代表などを歴任。その後ポーランドに帰って,ポーランド科学アカデミー会員,ワルシャワ大学政治経済学教授となり,社会主義経済の建設に貢献した。マルクス主義に立脚しつつ近代経済理論の研究を進め,論文《マルクス経済学と現代経済理論Marxian Economics and Modern Economic Theory》(1935)で,マルクス経済学と近代経済学を比較検討し,マルクス経済学は動態論において優れているが,マルクスの労働価値説は一般均衡論=静態論としては不完全であるという見解を示した。また,社会主義経済の運営不可能性を主張したハイエクミーゼスに対し,論文《社会主義の経済理論On the Economic Theory of Socialism》(1936-37)で,価格のパラメーター機能を利用することによって自由主義的な社会主義経済の運営が可能であることを論証した。主著の一つ《価格伸縮性と雇用Price Flexibility and Employment》(1944)は,ケインズの《一般理論》をヒックスの《価値と資本》の方法で精密化したものとして重要である。晩年には,サイバネティックスシステム論の研究に取り組み,《最適決定論》(1964),《経済サイバネティックス入門》(1965)などの成果がある。
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ランゲ
Friedrich Albert Lange
生没年:1828-75

ドイツの哲学者で初期の新カント学派に属する。形而上学と唯物論をともに批判するのは初期の新カント学派の特徴であるが,彼も形而上学を学問ではなく〈概念詩〉にすぎないと批判する一方,当時盛んであった自然科学的生理学的唯物論は自然界の科学的認識の方法としては正しいが,世界観の原理としてふるまうのは誤りである,と主張した。著書に《唯物論史》(1866)がある。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ランゲ」の意味・わかりやすい解説

ランゲ
Linguet, Simon-Nicolas-Henri

[生]1736.7.14. ランス
[没]1794.6.27. パリ
フランスの弁護士,評論家。激しい才気の持主で幅広い法廷活動と評論活動を行なった。 1764年代表作『民法理論』 Théorie des loix civiles ou principes fondamentaux de la société (2巻) を刊行して「よき君主」を説き,かつ人民抵抗権を肯定した。多くの裁判で貴族を弁護し名声を得たが,高等法院と対立し,その毒舌と傍若無人ぶりが憎まれ,75年弁護士資格を奪われ,ロンドンに逃れて雑誌『政治・社会・文芸紀要』を出版。一時帰国したが,バスティーユに収監 (1780~82) され,出獄後『バスティーユ回想』 Mémoires sur la Bastille (83) を著わした。 94年革命裁判所専制君主を弁護したという理由により処刑された。

ランゲ
Lange, Oskar

[生]1904.7.27. トマシュフマゾビェツキ
[没]1965.10.2. ワルシャワ
ポーランドの経済学者。 1938~45年シカゴ大学の経済学教授,1945~49年ポーランド国際連合代表。 1949年ポーランド統一労働者党中央委員。ヨシフ・V.スターリン批判後の 1956年ワルシャワ大学教授となり,政府機関の経済評議会の議長に就任して大胆な経済改革案を提案。しかし保守化したウワディスワフ・ゴムウカ政権には受け入れられなかった。主著『社会主義の経済理論について』 On the Economic Theory of Socialism (1938) ,『社会主義政治経済学』 The Political Economy of Socialism (1958) ,『計量経済学入門』 Introduction to Econometrics (1959) 。

ランゲ
Lange, Christian Lous

[生]1869.9.17. スタバンゲル
[没]1938.12.11. オスロ
ノルウェーの国際平和運動家。 1893年オスロ大学卒業,1919年国際主義の歴史に関する論文で博士号を取得。 09~33年列国議会同盟 IPU書記長となり,第1次世界大戦中もその組織を守り,発展させた。また 20年からノルウェー代表として国際連盟で活躍し,特に軍縮問題に関心をもった。スウェーデンの K.ブランティングとともに 21年ノーベル平和賞受賞。 32年オランダのグロチウス・メダルを受章。主著"L'Histoire de l'Internationalisme" (1919) ,"L'Union interparlementaire" (21) 。

ランゲ
Lange, Friedrich Albert

[生]1828.9.28. ゾーリンゲン近郊ワルド
[没]1875.11.21. マールブルク
ドイツの哲学者,哲学史家。新カント派マールブルク学派の代表者の一人。 1869年チューリヒ大学講師,70年同大学教授,72年マールブルク大学教授。カントの批判主義の影響を受け,形而上学を認めなかったが,立場としては唯物論に立ち,唯物論とカントの総合を試みた。主著『唯物論史』 Geschichte des Materialismus und Kritik seiner Bedeutung in der Gegenwart (2巻,1866) 。

ランゲ
Lange, Per

[生]1901.8.30. フォルスホルム
[没]1991.7.9.
デンマークの詩人。 20世紀前半のデンマークを代表する詩人の一人で,時代の不安と動揺に耐えながら深い静謐をたたえた一種古典的な詩風を完成した。その背後にはニーチェ=ヘラクレイトス流の生を不断の運動とみる哲学があるとされる。処女詩集は『カオスと星』 Kaos og stjernen (1926) ,次いで発表した『彷徨』 Forvandlinger (29) ,『オルフェウス』 Orfeus (32) が代表詩集。ほかに『レリーフ』 Relieffer (43) など。

ランゲ
Lange, Horst

[生]1904.10.6. リークニッツ
[没]1971.7.6. ミュンヘン
ドイツの詩人,小説家。作品にはドストエフスキーの影響が強く,故郷シュレジエンの風土に根ざしたものが多い。故郷が第2次世界大戦後ポーランド領となったため,東方への憧れと相まって望郷の念は悲痛な響きを帯びる。小説『黒い柳』 Schwarze Weide (1937) ,ロシア戦線での体験を描いた短編集『照明弾』 Die Leuchtkugeln (44) ,詩集『暗い潮から響く歌』 Aus dumpfen Fluten kam Gesang (58) など。

ランゲ
Lange, Konrad von

[生]1855.3.15.
[没]1921.7.30.
ドイツの美学者。 1885年ゲッティンゲン,92年ケーニヒスベルク,94年テュービンゲンの各大学教授。心理学的美学の立場に立ち,美は Illusion (錯覚) から成り立つとして,独自の幻想説を提出した。主著『芸術の本質』 Das Wesen der Kunst (2巻,1901) ,『芸術哲学の方法論』 Über die Methode der Kunstphilosophie (04) 。

ランゲ
Lange, Hartmut

[生]1937.3.31. ベルリン
ドイツの劇作家。風刺喜劇『マルスキ』 Marski (1963) が上演禁止となったのち,当時の東ドイツから西ドイツへ移住。スターリンを否定と肯定の両面から描いた2部作『犬の裁判/ヘラクレス』 Hundprozess/Herakles (68) ,『ラーテナウ伯爵夫人』 Die Counteß von Rathenow (69) などの作品がある。

ランゲ
Lange, Julius

[生]1817.8.17. ダルムシュタット
[没]1878.6.25. ミュンヘン
ドイツの画家。ダルムシュタット,ジュッセルドルフで学び,スイスの山の絵で評価を得た。 1840年以降ミュンヘンで活躍。 56年にイタリアを旅行し,ベネチアの美術アカデミーのために多数のデッサンを描き,50年に同アカデミー会員となった。また各地の宮廷で王侯貴族の肖像画も描いた。

ランゲ
Lange, Carl Georg

[生]1834.12.14. フォールディングボリ
[没]1900.5.29. コペンハーゲン
デンマークの生理学者。情緒の原因として身体的変化を重視する立場に立ち,その学説はジェームズ=ランゲ説として知られている。主著『感情の動き』 Om Sindsbevaegelser (1885) 。

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20世紀西洋人名事典 「ランゲ」の解説

ランゲ
Ringuet


1895 - 1960
カナダの小説家。
元・駐ポルトガル大使。
トロア・リビエール生まれ。
本名フィリップ・バヌトン〈Philippe Panneton〉。
多彩な活動をした文化人で医師、南米のプレコロンビアン遺跡の調査、旅行家、外交官などの経歴を持つ。作品としては、克明な観察による自然主義風の小説で、フランス系カナダの農民の土地に対する執着と冷酷な人間の打算を描いた「三〇アルパン」(1938年)等がある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀西洋人名事典」(1995年刊)20世紀西洋人名事典について 情報

百科事典マイペディア 「ランゲ」の意味・わかりやすい解説

ランゲ

ポーランドの経済学者。1934年米国に留学し,シカゴ大学教授等を務めた。1947年帰国,ワルシャワ大学等に奉職,国家経済会議議長となった。社会主義下の均衡価格の成立をはじめ,マルクス経済学と近代経済学の対比究明に業績が多い。主著《社会主義の経済理論》《価格伸縮性と雇用》。

ランゲ

ドイツの哲学者。初期の新カント学派の一人で,唯物論と形而上学をともに批判,ニーチェらに影響を与えた。著書《唯物論史》(1866年)など。

ランゲ

ノルウェーの政治家。ハーグ平和会議代表,国際議会連盟書記長,国際連盟代表等を歴任。1921年ノーベル平和賞。

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367日誕生日大事典 「ランゲ」の解説

ランゲ

生年月日:1904年7月27日
ポーランドの経済学者
1965年没

ランゲ

生年月日:1904年10月6日
ドイツの詩人,小説家
1971年没

ランゲ

生年月日:1895年4月30日
カナダの小説家
1960年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内のランゲの言及

【ピエモンテ[州]】より

…農業に関しては,過疎の進む山岳地域での,生産性の低い,小麦,牧畜を中心とする零細な農業経営から,ノバラ,ベルチェリ両県にまたがるポー川流域の灌漑の行き届いた平野での資本主義的大経営による米作(全国の生産高の半分以上を占める)まで多様で,第2次世界大戦後は,リンゴ,ナシなどの果物やピーマン,セロリなどの野菜栽培も顕著である。州中央部のモンフェラートMonferratoや南部のランゲLangheの丘陵はブドウ畑で覆われ,質の高いブドウ酒を生産している。 工業は,19世紀にビエラの毛織物工業をはじめとする北部丘陵地域での繊維工業が,豊富な水力を背景にして,この地方の工業化に先鞭をつけたが,19世紀末に設立されたトリノのフィアット社は南イタリアから流入する労働力を吸収して,とくに第2次世界大戦後の成長が著しい。…

※「ランゲ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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