改訂新版 世界大百科事典 「ラントシュタイナー」の意味・わかりやすい解説
ラントシュタイナー
Karl Landsteiner
生没年:1868-1943
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…これらは全身麻酔であるが,局所麻酔は,ドイツの眼科医コレルKarl Kollerがコカインを用いて角膜麻酔をおこなったのにつづいて,ニューヨークの外科医ハルステッドWilliam S.Halsted(1852‐1922)が積極的にその開発にとりくんだ。止血のためには,結紮(けつさつ)法や止血鉗子が開発され,出血を減らす方法がまず試みられ,ついでK.ラントシュタイナーによって血液型が発見されたことにより,安全な輸血をおこなえるようになった。さらに輸液技術が開発されたことで,手術にともなう出血や,手術そのものによる生体への影響を著しく軽減することが可能になり,理論的には,生体内のほとんどどの部分にでもメスを入れることができるようになった。…
…しかし,血液型抗原が輸血や妊娠や臓器移植に際して健康上不利益に振る舞うことがあるところから,臨床医学上では非常に重視されている。
【血液型の歴史】
1901年にK.ラントシュタイナーがABO血液型を発見したことに始まる。彼は当時33歳,ウィーン大学医学部卒業後,同大学病理学教室で助手をしていたが,他人どうしの赤血球と血清とを互いに混ぜ合わせると,その赤血球が凝集する(多数の赤血球が寄り集まって凝固とは別のメカニズムにより塊として見えるようになる)場合と凝集しない場合とがあり,これに一定の法則性があることを発見した。…
…試みは失敗したが,医学の発展にはしばしばこの種の悲惨な試行錯誤が伴っている。K.ラントシュタイナーがABO血液型を発表したのは1901年以降のことであった。キリスト教も魂と血との関連を重視している。…
…しかし,現在考えられるような異種移植についての知識がなかったために,しばしば重篤な副作用を起こし,失敗に終わった。その後,1818年にブランデルによるヒトからヒトへの輸血で成功した後,1901年K.ラントシュタイナーがABO式血液型を発見して,ようやく血液型不適合による事故は激減するようになった。さらに第1次大戦を契機に,抗血液凝固剤の開発などによって,輸血法は急速に進み,外科的治療の進歩に大きく貢献した。…
※「ラントシュタイナー」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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