コトバンクはYahoo!辞書と技術提携しています。

ラーシュトラクータ朝 ラーシュトラクータちょうRāṣṭrakūta

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

ラーシュトラクータ朝
ラーシュトラクータちょう
Rāṣṭrakūta

インドのデカン地方を8世紀なかばから2世紀間支配した王朝。元来チャールキヤ朝に仕えてベラール地方を治めていたが,733年にダンティドゥルガが近隣を攻め,チャールキヤ朝に代ってデカンの支配者となった。8世紀末までにカーベリ川まで征服して南インドの覇権を握り,さらに北進してプラティーハーラ朝を破ってカナウジを攻略,一時北インドの覇権をも握った。以後カナウジをめぐってプラティーハーラ朝,パーラ朝と争いを繰返し,また南のパッラバ朝とも争ったが,10世紀末にチャールキヤ朝にデカンを奪われて滅んだ。

出典|ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について | 情報

世界大百科事典 第2版の解説

ラーシュトラクータちょう【ラーシュトラクータ朝 Raṣṭrakūṭa】

ラージプートの一派と称するラーシュトラクータ家がインドのデカン地方に樹立したヒンドゥー王朝。753ころ‐973年。8世紀にシンドを占領し,さらに南下を図ったアラブを阻止したチャールキヤ朝は封臣の一人ダンティドゥルガDantidurgaによって倒され,代わってナーシクを首都としてラーシュトラクータ王朝が創始された。王朝は973年まで14代と,小王国の分立するデカン地方では比較的長期間勢力を維持した。諸王国の弱体化に乗じて勢力を拡大し,ガンガ朝,東チャールキヤ朝,パッラバ朝,パーラ朝を次々と平定・服属し,やがて第5代ゴービンダ3世Govinda IIIの時代には北はマールワから,南はカーンチーにまでおよぶ一大王国となった。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト世界大百科事典 第2版について | 情報

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

ラーシュトラクータ朝
らーしゅとらくーたちょう
Rraka

インドのデカンで8世紀中ごろから10世紀後半まで統治した王朝。バーダーミに都したチャールキヤ朝にかわって、753年ごろチャールキヤ朝の部将ダンティドゥルガが王位を獲得し、ハイデラバードの近くのマンヘードに都して、デカンを統治した。第2代クリシュナ(在位756~773)は王国の体制を固め、マイソールやアーンドラにも勢力を伸ばし、エローラにカイラーサナータ寺院を建立。当時ガンジス中流域にはプラティーハーラ朝、同下流域にはパーラ朝、デカン半島南部にはパッラバ朝という強大な王国があって、この王朝はこれらとの間に戦争を繰り返した。とりわけ、ドゥルバとゴービンダ3世は北インドに大遠征を行い、プラティーハーラ朝の都カンノージ(カナウジ)を占領したことがあった。だが占領した遠方の地を長年にわたって支配することはなかった。9世紀後半からこの王朝はしだいに衰え、東からチャールキヤ朝、南からチョーラ朝に攻められ、973年、勢力下にあったチャールキヤ家のタイラによって滅ぼされた。[山崎利男]

出典|小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について | 情報 凡例

ラーシュトラクータ朝の関連キーワードマハーラーシュトラ[州]パタレーシュワラ石窟寺院ラージャラージャ[1世]ラージプート諸王朝マヘーンドラパーラヒンドゥー教美術カラチュリ王国ラージプートマハービーラボージャ1世ダルマパーラパラマーラ朝デーバパーラインド美術

今日のキーワード

存亡の機

引き続き存在するかここで滅びてしまうかという非常に重大な時。存亡の秋(とき)。...

続きを読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android