ナチス・ドイツの外交官。軍人の子。イギリス、フランス、カナダなどに在住ののち、第一次世界大戦に従軍し、戦後ぶどう酒商人として成功、シャンペン醸造元の娘と結婚した。貴族称号は叔母との養子縁組により得る。1932年ナチス党に入り、ヒトラー政権成立の際、舞台裏で少なからぬ役割を演じた。彼は自ら「ヒトラーの外交政策顧問」と称し、政権成立後「リッベントロップ機関」を設け、外務省を無視して活動し、1935年英独海軍協定を成立させた。1936年駐英大使、1938年ノイラートにかわり外相となった。元来ヒトラーとは反共産主義で結び付いた英独妥協論者であったが、このころ反英路線に転じ、1939年独ソ不可侵条約を結び、第二次世界大戦の勃発(ぼっぱつ)をみると日本との軍事的連携を強め、1940年日独伊三国同盟を成立させた。戦争中、彼の政治的影響力は急速に失われた。戦後ニュルンベルク国際軍事裁判で絞首刑になった。
[吉田輝夫]
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1893~1946
ナチス・ドイツの外交官。第一次世界大戦に従軍し,戦後貿易商として財をなす。1932年ナチ党に入党し外交政策顧問となるが,ヒトラー政権成立の際,舞台裏で少なからぬ役割を演じた。ナチス政権が成立すると,外務省を無視して外交活動を行い,35年英独海軍協定を成立させた。36年駐英大使,38年2月ノイラートに代わり外相となり,第二次世界大戦に至る全外交政策を指導した。戦後ニュルンベルク国際軍事裁判で絞首刑に処せられる。
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